ここから割り注]訳者注 ナポレオン一世の子の称号[#ここで割り注終わり])の問題について互いに争論していた。宮廷の監察官は妃殿下に、どこにも出てるオルレアン公の肖像のことを告げていた。その像は軽騎兵司令官の制服をつけたもので、竜騎兵司令官の制服をつけたベリー公よりもりっぱであった。それは大なる不都合だった。パリー市は市の金で廃兵院の丸屋根の金を塗り直していた。まじめな人たちは、かくかくの場合にはド・トランクラーグ氏はどういうふうになすだろうかと考えていた。クローゼル・ド・モンタル氏は種々の点でクローゼル・ド・クーセルグ氏と離反した。ド・サラベリー氏は不平をいだいていた。モリエールさえはいることができなかったアカデミーの一員である喜劇作者ピカールは、オデオン座で二人のフィリベール[#「二人のフィリベール」に傍点]を上演さしていた。同座の破風からは女皇座[#「女皇座」に傍点]の文字がぬき取られていたが、その跡がまだ残って見えていた。キュネー・ド・モンタルロに対して賛否の論がされていた。ファブヴィエは乱を好むの徒であり、パヴーは革命家であった。ペリシエ社はフランス・アカデミー会員たるヴォルテール集[#「ヴォルテール集」に傍点]という題で、ヴォルテールのものの出版をした。その無邪気な出版屋は「それは売れますよ」と言っていた。一般の意見によれば、シャール・ロアゾン氏は本世紀を通じての天才だということであった。がうらやむ人々は彼を誹謗《ひぼう》しはじめていた。それも光栄の一つの兆である。そして彼について次のような句ができていた。
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いかにロアゾン飛ぶとても、足あることを人は知る。
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枢機官フェーシュが辞職することを拒んだので、アマジーの大司教ド・パン氏はリオンの管轄区を統《す》べていた。ダップ渓谷の争議が、後に将軍となったデュフール大尉の覚書によって、スウィスとフランスとの間に始まっていた。世にまだ知られなかったサン・シモンは、その壮大な夢想を築きかけていた。アカデミー・デ・シヤンスには、有名であるがしかし後世忘れられてしまうようなあるフーリエがいた、そしてどこかの陋屋《ろうおく》のうちにも、まだ世に知られないが将来忘れらるることのないあるフーリエがいた。バイロン卿が世に現われはじめていた。ミルボアのある詩の注には次のような言
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