ですが。」
「私はだれにも会いませんでしたよ。」
彼は財布から五フランの貨幣を二つ取り出して、それを牧師に渡した。
「司祭さん、これは貧しい人たちに施して下さい。――司祭さん、十歳《とお》ばかりの小さい子供です。たしか一匹のモルモットと絞絃琴《ヴイエル》とを持っています。向こうへ行きました。サヴォアの者です。御存じありませんか。」
「私はその子に会いませんよ。」
「プティー・ジェルヴェーに? この辺の村の者ではありますまい。どうでしょうか。」
「あなたが言うとおりなら、それはこの辺の子供ではありますまい。この地方をそんな人たちが通ることはありますが、どこの者だかだれも知りませんよ。」
ジャン・ヴァルジャンは荒々しく五フランの貨幣をもう二つ取り出して、それを牧師に与えた。
「貧しい人たちにやって下さい。」と彼は言った。
それから彼は心乱れたようにつけ加えた。
「司祭さん、私を捕縛して下さい。私は泥坊です。」
牧師はひどく慴《おび》えて、馬に拍車をくれて逃げ出した。
ジャン・ヴァルジャンは最初向かっていた方向にまた走り出した。
彼はそのようにして、見回し呼び叫びながらかなり長い間行ったが、もうだれにも出会わなかった。二、三度彼は、何か人の横たわっているようにもまた蹲《うずく》[#ルビの「うずく」は底本では「うづく」]まっているようにも見えるものの方へ、野の中をかけて行った。がそれはただ荊棘《いばら》であったり、地面に出てる岩であったりするきりだった。終わりに、三つの小道が交叉《こうさ》している所に出て、彼は止まった。月が出ていた。彼は遠くに目をやって、最後にも一度叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」その叫びは靄《もや》の中に消え失せて、反響をも返さなかった。彼はなおつぶやいた。「プティー・ジェルヴェー!」しかしその声は弱々しくてほとんど舌が回らないかのようだった。それは彼の最後の努力であった。彼の膝はにわかに立っているにたえられなくなった。あたかも何か目に見えない力によって悪心の重みで突然押しつぶされたかのようだった。彼はある大きな石の上にがっくりと身を落として、両手で髪の毛をつかみ、顔を膝に押しあて、そして叫んだ。「ああ俺は惨《みじ》めな男だ!」
その時彼は胸がいっぱいになって、泣き出した。十九年この方
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