ものはそうしたものです。」
 彼が話している間に、司教は立っていってあけ放しになってる戸をしめた。
 マグロアールは戻ってきた。彼女は一人分の食器を持ってきてそれを食卓の上に置いた。
「マグロアールや、」と司教は言った、「その食器をできるだけ暖炉の近くに置きなさい。」そして彼は客人の方へふり向いた。「アルプスの夜風は大変きびしいです。あなたはきっとお寒いでしょう。」
 司教がそのあなた[#「あなた」に傍点]という言葉を、優しい重みのある、いかにも上品な声で言うたびごとに、男の顔は輝いた。囚人に対して言わるるあなた[#「あなた」に傍点]という言葉は、メデューズ号の難破者([#ここから割り注]訳者注 一八一六年に起こった最も悲惨な難破船[#ここで割り注終わり])に対する一ぱいの水のごときものである。はずかしめらるる者は他人の尊敬に飢えている。
「このランプは、」と司教は言った、「あまり明るくないな。」
 マグロアールはその意味を了解した。そして閣下の寝間の暖炉の上から二つの銀の燭台《しょくだい》を取ってきて、それにすっかり火をともして食卓の上に置いた。
「司祭さん、」と男は言った、「あなたは善《よ》い方だ。あなたは私を軽蔑なさらない。私を家に入れて下さる。私のために蝋燭《ろうそく》をともして下さる。私がどこからきたかを隠さず、私が惨《みじ》めな者であることを隠さなかったのに。」
 司教は彼のそばに腰を掛けて、静かに彼の手に触《さわ》った。「あなたはあなたがだれであるかを私に言わなくてもよかったのです。ここは私の家ではなくて、イエス・キリストのお家です。この家の戸ははいって来る人に向かって、その名前を尋ねはしません、ただ心に悲しみの有る無しを尋ねます。あなたが苦しんでいられ、飢えと渇《かわ》きとを感じていられるならば、あなたは歓待せられます。そして私に礼を言ってはいけません、私があなたを自分の家に迎え入れたのだと言ってはいけません。だれも、安息所を求める人を除いてはだれも、ここは自分の家ではありません。私は通りすがりのあなたに向かってもそれを言います。ここは私の家というよりもむしろあなたの家です。すべてここに在《あ》るものはあなたのものです。何で私があなたの名前を知る必要がありましょう。それにまた、あなたが言われない前から私はあなたの一つの名前を知っています。」
 男は驚
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