らば、おそらくそれは事実であろう。しかしながら人は、あまりに愛しすぎるということのないと同じく、あまりに祈りすぎるということはなお更ない。経典以上の祈りをすることが異端であるとなすならば、聖テレサや聖ヒエロニムスのごときも異端者となるであろう。
 彼は悲しむ者や罪を悔いる者の方へ身をかがめた。世界は彼に一つの広大なる病であるごとく思われた。彼はいたる所に病熱を感じ、いたる所に苦悩の声をきいた。そして彼はその謎《なぞ》を解かんとせず、瘡痍《そうい》を繃帯《ほうたい》せんとした。万物の恐るべき光景は、彼のうちにやさしき情をますます深からしめた。あわれみ慰むべき最良の方法を自己のために見い出すことと、他人にそれを勧むることとにのみ、彼は意を用いた。存在するところのものは皆、このまれな善良な牧師にとっては、慰藉《いしゃ》を求めながら常に悲哀に沈んでるのであった。
 世には黄金を採掘するために働いている人々がいる。司教は憐憫《れんびん》を引き出すために働いていた。全世界の悲惨は彼の鉱区であった。いたる所に苦しみがあることは、常に親切を施すの機縁となるばかりであった。汝ら互いに愛せよ[#「汝ら互いに愛せよ」に傍点]。彼はその言を完全なるものとして、それ以上を何も希《ねが》わなかった。そこに彼の教理のすべてがあった。ある日、前に述べたあの自ら「哲学者」と思っている上院議員は司教に言った。「だがまず世界の光景を見らるるがいい。あらゆるものは皆互いに戦っている。最も強い者が最も知力を持っている。君の汝ら互いに愛せよ[#「君の汝ら互いに愛せよ」に傍点]は愚なことだ。」ビヤンヴニュ閣下はあえて論争せずにただ答えた。「なるほど[#「なるほど」に傍点]、たといそれは愚であるとしても[#「たといそれは愚であるとしても」に傍点]、貝殻の中の真珠のように[#「貝殻の中の真珠のように」に傍点]、魂はその中にとじこめておかなければいけないです[#「魂はその中にとじこめておかなければいけないです」に傍点]。」かくて彼はそこにとじこもり、その中に生き、それに絶対に満足していた。そして他のすべてを傍《かたわら》にうち捨てた。人をひきつけまた恐れさする不可思議な問題、抽象の不可測な深淵、形而上学の絶壁、使徒にとりては神が中心たり無神論者にとりては虚無が中心たるそれらのあらゆる深奥の理、すなわち、運命、善と悪、
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