オンの前に開かれしことが漠然と感じ得られた時、運命に罰せられたる人に対する軍隊および国民の悲しき歓呼の声は、決して笑うべきものではなかった。しかしその専制君主に多くの難を認むるとしても、ディーニュの司教のごとき心の人は、偉大なる一国民と偉大なる一人の人との深淵《しんえん》の縁における堅き抱擁のうちには厳粛にして痛切なるもののありしことを、おそらく否認してはいけなかったであろう。
それを外にしては、司教は何事においても常にまたその時々に、正当、真実、公平、聡明《そうめい》、謙譲、廉直であった。恵み深く、また慈恵の一種なる親切でもあった。彼は一個の牧師で、一個の賢者で、かつ一個の人であった。そしてここに言わなければならないことは、われわれが彼を非難し、ほとんどあまりに厳《きび》しく彼を批判せんとしたあの政治上の意見においても、彼は寛容で穏和であって、おそらくここに語るわれわれよりもいっそうそうであろう。――ディーニュの市役所の門衛は皇帝からそこに置かれたものであった。彼は以前の近衛軍の老下士で、アウステルリッツの戦いに臨んだ勲章所有者で、鷲《わし》の紋章のごとく離るべからざるブオナパルト党であった。このあわれな男は時々、当時の掟《おきて》にいわゆる挑発的言論[#「挑発的言論」に傍点]という無遠慮な言葉をもらすことがあった。皇帝の横顔像がレジオン・ドンヌールの勲章から除かれてからは、彼は決して彼のいわゆる制定服[#「制定服」に傍点]を着なかった。その服を着てその十字勲章をかけさせらるることのないようにである。彼はナポレオンから授かったその十字勲章から、皇帝の肖像をうやうやしく自ら取り除いた。ために、そこに一つの穴ができたが、彼は何物をもつめることを欲しなかった。彼は言った。「三びきの蛙[#「三びきの蛙」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 該勲章に新たにつけられたる三葉模様をさす[#ここで割り注終わり])を胸につけるよりは死んだがましだ[#「を胸につけるよりは死んだがましだ」に傍点]。」また彼は好んで声高にルイ十四世を嘲《あざけ》って言った。「イギリスふうのゲートルをつけた中風病みの老耄奴[#「イギリスふうのゲートルをつけた中風病みの老耄奴」に傍点]、サルシフィの髪[#「サルシフィの髪」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 ルイ十八世式の頭髪[#ここで割り注終わり])と
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