を観察して面白がっていた。そして大男のカネーのような、やや滑稽《こっけい》な善良な者たちにたいしては、彼は寛大な同情心をもっていた。彼らの凡庸さを、彼はオリヴィエほど不快には思わなかった。やさしい冷笑的な興味で彼らの皆をながめていた。彼らが演じてる芝居から自分は離れてると思っていた。そしてしだいにそれへ巻き込まれることには気づかなかった。風が吹き過ぎるのを見てる傍観者にすぎないとみずから考えていた。がすでに風は彼の身に触れて、塵埃《じんあい》の渦巻《うずまき》中に彼を引込みつつあった。
社会劇は二重になっていた。知識階級の人々が演じてるのは劇中の劇だった。民衆はそれにほとんど耳を貸していなかった。民衆自身の劇こそほんとうの劇だった。しかしその筋をたどるのは容易でなかった。民衆自身もよく理解していなかった。あまりに意外なことばかりが多く含まれていた。
それは動作よりも言葉のほうが多くないからではなかった。中流人にしろ下層民にしろすべてフランス人は、パンにおいて大食であると同じく言葉においても大食である。しかし皆同じパンを食べてはしない。微細な味覚にたいしては贅沢《ぜいたく》な言葉があり、飢えたる口にたいしてはいっそう養分に富んだ言葉がある。たといその各語がみな同じだとしても、同じ方法で捏《こ》ね上げられたものではない。味と香《かお》りとが、意味がそれぞれ異なっている。
オリヴィエは、初めて民衆の会合に臨んでそのパンを味わったときには、それを食べる気になれなかった。その断片が喉《のど》につかえた。思想の平板さ、表現の無色粗野な重苦しさ、曖昧《あいまい》な概説、幼稚な論理、連絡もない抽象と事実とがへたに捏ね交ぜられてるその凝汁《マイヨネーズ》、などに彼は胸がむかついた。言語の不潔さも、俗語の活気で償われてはいなかった。それは新聞紙の用語であり、有産階級の修辞法の古着屋から拾い出して来られた、艶《つや》の失せた襤褸《ぼろ》であった。オリヴィエはことに簡素でないことに驚かされた。文学上の簡素は自然的なものではなくて、習得されたものであり、優秀者が骨折ってかち得たものであることを、彼は忘れていたのである。都会の民衆は簡素ではあり得ない。彼らはいつも好んで技巧に過ぎた表現を求める。オリヴィエはそういう誇大な文句が聴衆に与え得る効果を理解できなかった。彼はその鍵《かぎ》をもっていなかった。人は他民族の言語を外国語と名づけているが、同じ民族のうちにも、社会的境遇とほとんど同数の言語がある。各語が数世紀にわたる経験の声をもち得るのは、狭い範囲内の優秀者にたいしてばかりである。他の人々にとっては、彼ら自身の経験と彼らの集団の経験とをしか各語は表わしていない。優秀者のために使用され優秀者から見捨てられた語のあるものは、あたかも空家《あきや》のようなものであって、優秀者が立ち去ったあとには、新しい精力が住んでいる。その住み主を知らんと欲するならば、その家の中にはいってゆかなければいけない。
クリストフは中にはいって行ったのだった。
彼は国営鉄道の雇員である一隣人の仲介で、労働者らと交際し初めた。その男は四十五歳で、背が低く、年齢よりも老《ふ》けていて、気の毒なほど頭の頂が禿《は》げ、眼が落ちくぼみ、頬《ほお》がこけ、太い反《そ》り返った鼻が尖《と》がり、知恵のありそうな口つきをし、耳朶《みみたぶ》のこわれた無格好な耳をしていて、まったく衰頽《すいたい》した顔だちだった。アルシード・ゴーティエという名前だった。下層民ではなくて、中辺の中流階級に属していた。そのりっぱな家庭は、この一人|息子《むすこ》の教育にわずかな財産をことごとく費やしてしまったが、財源がないのでその教育をやり遂げさせることもできなかった。で彼はごく若くて国家のある役所にはいった。そういう地位は、貧しい中流人には安全な港のように思われるのであるが、実は死――生きながらの死に等しいのである。彼は一度そこへはいると、もう出ることができなかった。彼はあるきれいな女工と恋愛結婚をするの過失――(近代の社会ではそれも一つの過失である)――を犯してしまった。女工の根深い野卑な気質は間もなく露骨になってきた。彼女は子供を三人生んだ。彼はその大勢を養ってゆかなければならなかった。彼は知力もあり全力をつくして自分の教育を完成しようと希《ねが》っていたが、いつも貧困のために身動きがならなかった。自分のうちに潜在している力を感じながら、その力が生活難のために窒息させられていた。彼はそれに諦《あきら》めをつけることができなかった。彼はけっして一人でいたことがなかった。会計のほうだったので、野卑|饒舌《じょうぜつ》な他の同僚と共通の室で、機械的な仕事に日々を送っていた。同僚らはくだらない話にばかりふ
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