者との間に圧迫され、その地位が我慢できないだけに、なおいっそう躍気となっていた。彼らを押しつけてる群集の流れの力のために、彼らの力は平素の百倍もになっていた。そして皆、家畜のようにたがいに密接し合うに従って、群集の温かみが胸や腰に伝わってくるのを感じた。そして自分たちがただ一塊となってるような気がしていた。各人がすべての人々であり、巨人ブリアレウスであった。血潮の波がときどき、無数の頭をもったこの怪物の心に逆まいてきた。眼つきには憎悪の色が浮かび、叫び声は兇暴になってきた。三、四列目あたりに潜んでいた人々は、石を投げ始めた。人家の窓からは、家族の人々がながめていた。彼らは芝居でも見るような気になっていた。群集を煽動《せんどう》していた。心痛な焦慮に少しおののきながら、兵士らが襲いかかるのを待っていた。
 そういう密集せる人込みの中を、クリストフは膝《ひざ》や肱《ひじ》で突きのけながら、楔《くさび》のように道を開いて進んだ。オリヴィエはそのあとからついて行った。一|塊《かたま》りになってる群集は、ちょっと隙間《すきま》を開いて二人を通し、そのあとからまたすぐ隙間をふさいだ。クリストフは愉快がっていた。先ほど民衆運動の可能を否定したことなんかは、すっかり忘れはてていた。人流れの中に足を踏み入れるや否や、それに吸い込まれてしまっていた。このフランスの群集とその権利請求とには門外漢でありながら、にわかにそれに融《と》け込んでしまったのだった。群集が何を欲してるかにはあまり気を留めないで、彼はただ欲し、自分がどこへ行ってるかにはあまり気を留めないで、彼はただやって行き、そしてその狂乱の息吹《いぶ》きを吸い込んでいた……。

 オリヴィエは引きずられるようにしてついて行った。自国のその民衆の熱情にはクリストフよりもはるかに門外漢であり、しかもやはり漂流者のようにその熱情に流されながら、彼は別に喜びも感ぜず、冷静な心地で、少しも自己意識を失わなかった。彼は病気のために衰弱して、人生との絆《きずな》がゆるんでいた。彼はそれらの人々といかに縁遠い気がしたことだろう!……彼は逆上《のぼ》せていなかったし、精神が自由だったので、ごく些細《ささい》なことまでも心に刻み込まれた。自分の前にいる一人の娘の金色の首筋を、その色|褪《あ》せた細い首を、楽しげにうちながめた。と同時にまた、押し合ってる群集の身体から湧《わ》き出る悪臭に、胸が悪くなった。
「クリストフ!」と彼は懇願した。
 クリストフは耳に入れなかった。
「クリストフ!」
「え?」
「帰ろうよ。」
「恐いのか。」とクリストフは言った。
 彼は進みつづけた。オリヴィエは悲しげな微笑を浮かべてついていった。
 彼らから数列先の所、押し返された民衆が人垣を作ってる危険区域の中に、新聞|売捌所《うりさばきじょ》の屋根に上ってる佝僂《せむし》の少年の姿を、オリヴィエは認めた。少年は両手で屋根につかまり、危《あぶ》なげな様子でうずくまって、兵士らの壁の彼方《かなた》を笑いながら見渡し、そしてまた群集のほうへ、揚々たるふうで振り向いていた。彼はオリヴィエを見てとって、輝かしい眼つきを投げかけた。それからふたたび、彼方の広場のほうを窺《うかが》い始めた。何かを待ちながら希望に輝いた眼を見開いていた。……何を待っていたのか!――来るべきものをである……。ただに彼ばかりではなかった。彼の周囲の多くの者も、奇跡を待っていた。そしてオリヴィエはクリストフの顔を見ながら、クリストフもまた待ってるのを気づいた……。
 オリヴィエは少年を呼びかけ、降りてこいと叫んだ。エマニュエルは聞こえないふうをした。もうオリヴィエのほうをも見なかった。彼はクリストフの姿に眼をとめたのだった。そして、半ばはオリヴィエに自分の勇気を示すために、半ばはオリヴィエがクリストフといっしょにいるのを罰するために、喧騒《けんそう》の中に身を曝《さら》して喜んでいた。
 そのうちにクリストフとオリヴィエは、群集中に何人かの知人を見出した。――金色の髯《ひげ》を生やしたコカールがいた。彼はただ少しの小|競合《ぜりあ》いを期待してるばかりであって、将《まさ》に水が堤にあふれんとする瞬間を老練な眼で見守っていた。その先のほうには別嬪《べっぴん》のベルトがいた。彼女はあたりの人々からちやほやされながら半可通な言葉をかわしていた。彼女はうまく第一列にはいり込んで、声をからしながら警官らをののしっていた。コカールはクリストフに近寄ってきた。クリストフは彼を見てまた嘲弄《ちょうろう》しだした。
「僕が言ったとおりだ。何事も起こりゃしないよ。」
「なあに!」とコカールは言った。「あまりここにいないがいいよ。じきにたいへんなことになるからな。」
「法螺《ほら》を吹くなよ。
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