る群集の身体から湧《わ》き出る悪臭に、胸が悪くなった。
「クリストフ!」と彼は懇願した。
 クリストフは耳に入れなかった。
「クリストフ!」
「え?」
「帰ろうよ。」
「恐いのか。」とクリストフは言った。
 彼は進みつづけた。オリヴィエは悲しげな微笑を浮かべてついていった。
 彼らから数列先の所、押し返された民衆が人垣を作ってる危険区域の中に、新聞|売捌所《うりさばきじょ》の屋根に上ってる佝僂《せむし》の少年の姿を、オリヴィエは認めた。少年は両手で屋根につかまり、危《あぶ》なげな様子でうずくまって、兵士らの壁の彼方《かなた》を笑いながら見渡し、そしてまた群集のほうへ、揚々たるふうで振り向いていた。彼はオリヴィエを見てとって、輝かしい眼つきを投げかけた。それからふたたび、彼方の広場のほうを窺《うかが》い始めた。何かを待ちながら希望に輝いた眼を見開いていた。……何を待っていたのか!――来るべきものをである……。ただに彼ばかりではなかった。彼の周囲の多くの者も、奇跡を待っていた。そしてオリヴィエはクリストフの顔を見ながら、クリストフもまた待ってるのを気づいた……。
 オリヴィエは少年を呼びかけ、降りてこいと叫んだ。エマニュエルは聞こえないふうをした。もうオリヴィエのほうをも見なかった。彼はクリストフの姿に眼をとめたのだった。そして、半ばはオリヴィエに自分の勇気を示すために、半ばはオリヴィエがクリストフといっしょにいるのを罰するために、喧騒《けんそう》の中に身を曝《さら》して喜んでいた。
 そのうちにクリストフとオリヴィエは、群集中に何人かの知人を見出した。――金色の髯《ひげ》を生やしたコカールがいた。彼はただ少しの小|競合《ぜりあ》いを期待してるばかりであって、将《まさ》に水が堤にあふれんとする瞬間を老練な眼で見守っていた。その先のほうには別嬪《べっぴん》のベルトがいた。彼女はあたりの人々からちやほやされながら半可通な言葉をかわしていた。彼女はうまく第一列にはいり込んで、声をからしながら警官らをののしっていた。コカールはクリストフに近寄ってきた。クリストフは彼を見てまた嘲弄《ちょうろう》しだした。
「僕が言ったとおりだ。何事も起こりゃしないよ。」
「なあに!」とコカールは言った。「あまりここにいないがいいよ。じきにたいへんなことになるからな。」
「法螺《ほら》を吹くなよ。
前へ 次へ
全184ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング