としたら、この上もない幸いです。けれども、その彼女のほうは、だれが救ってくれるでしょうか。だれが彼女を救おうと気をもんでくれるでしょうか。彼女自身が、他人や自分のあらゆる苦しみを苦しんでるではありませんか。彼女は他人に信仰を与えるに従って、自分には信仰が少なくなります。悲惨な人たちはみな彼女に必死としがみついてきます。そして彼女は何にもすがるものをもちません。だれも彼女に手を差し出してはくれません。そして時とすると、石を投げられることさえあります……。クリストフさん、あなたも御存じでしょう、もっとも謙遜《けんそん》なもっとも価値のある慈善事業に一身をささげたあの感心な婦人を。彼女は、子供を産んだ宿なしの売笑婦たちを、貧民救助会から顧みられもしないし、また向こうでもそれを恐れる不幸な女たちを、自分の家に引き取りました。そして、彼女たちを肉体的にも精神的にも癒《いや》してやろうとつとめ、子供といっしょに引き留めようとつとめ、母親の感情を呼び覚《さ》ましてやろうとつとめ、一つの家庭を、正直に働く生活を、立て直してやろうとつとめました。けれども彼女は、悲しみや苦しみに満ちてるその陰鬱《いんうつ》な仕事にたいして、十分の力をもってはしませんでした。――(救ったのはごくわずかな人数です。救われることを願ってたのはごくわずかな人数です。それにどの子供もみな死んでしまいます。罪のない子供ですが、生まれながら不幸な運命をになってるのです……。)――そして、他人の苦しみをすべて一身に引き受けたその婦人が、人間の利己心の罪をみずから進んで贖《あがな》ったその潔《きよ》い婦人が、クリストフさん、人からどう判断されたとお思いになりますか? 意地悪な世間は彼女をとがめて、その事業から金を儲《もう》けてるのだと言ったり、保護してやった女どもから金を儲けてるとさえ言ったのです。彼女は力を落としてしまって、その町から立ち去らなければなりませんでした……。――独立した婦人たちが現在の社会となさなければならない戦いが、どんなに残酷なものであるかは、とてもあなたには想像もつきますまい。保守的な無情な現在の社会は、自分で死にかかっていまして、残ってるわずかな元気を、他人の生きるのを妨げることばかりに費やしているのです。」
「でもそれは、婦人ばかりの運命ではありません。われわれ男のほうもみなそういう戦いを知っています。そして僕はまた避難所をも知っています。」
「どんな?」
「芸術です。」
「それはあなたがたにはいいかもしれませんが、私たち女には駄目《だめ》です。そして男のうちでさえ、芸術を利用できる人がどれだけありましょう?」
「あのセシルをごらんなさい。幸福ですよ。」
「あなたにはそれがわかるものですか。ほんとにあなたは早合点ばかりなさるんですね。あの女《ひと》が元気だからといって、いつまでもぐずぐず悲しんでいないからといって、悲しみを他人に隠してるからといって、それであなたはあの女《ひと》が幸福だとおっしゃるのでしょう。もとよりあの女《ひと》は、身体も丈夫だし戦うこともできますから、幸福には違いありません。けれどあなたはあの女《ひと》の戦いがどんなものだか御存じありません。人を欺きやすい芸術生活にあの女《ひと》が適してると思っていられるのですか。芸術! 書いたり演じたり歌ったりする光栄を、幸福の絶頂かなんかのようにあこがれてる憐《あわ》れな女たちがいることを、考えてもみますと!……彼女たちにはあらゆるものがかなり不足してるに違いありませんし、もう自分ではどういう愛情に身を委《ゆだ》ねてよいかわからないに違いありません……。芸術、もしもその他のいっさいのものを共にもっていないならば、芸術も何になりましょう? 他のことをすっかり忘れさせるようなものは、世の中にただ一つきりありません、それはかわいい子供です。」
「そして、子供があってさえ、まだ十分ではないじゃありませんか。」
「ええ、いつでもというわけにはいきません……。女というものはあまり幸福ではありません。一人前の女であることはむずかしいことです。一人前の男であるよりもずっとむずかしいことです。あなたには十分おわかりになりますまい。あなたがたは、精神的な熱情に、なんらかの活動に、没頭されることができます。不具になっても、そのためにかえって幸福になることができます。ところが健全な女は、苦しまなければ幸福にはなれません。自分自身の一部を窒息させるのは非人間的なことです。私たちは一方で幸福な場合は、他方で後悔しています。私たちは多くの魂をもっています。があなたがたには、一つの魂があるきりです。それも、女の魂よりずっと強くて、たいてい乱暴で、怪物じみてさえいます。私はあなたがたに敬服しております。けれどあまり利己的であられて
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