そこで立ち止まる。ジャックリーヌも、見たか見ないかの男に向かって熱烈な手紙をいくらも書き散らした。しかしどれも出さなかった。ただ一つ心酔しきった手紙を、自分の名を書かずに、ある無情な狭量な醜い卑しい利己的な批評家に送った。彼が書いた三、四行の文のなかに感傷的な宝を見出して、それで恋しくなったのだった。彼女はまたある一流の俳優に想《おも》い焦がれた。住居が彼女の家の近くだった。その門前を通ることに彼女はみずから言った。
「はいってみようかしら。」
 そしてあるとき彼女は大胆にも、彼が住んでる階まで上がって行った。しかし一度そこまでゆくとすぐに逃げ出した。どんなことを言ったらよいか? いや言うべきことは何一つなかった。彼を少しも恋してるのではなかった。自分でもそれはよくわかっていた。彼女のそういう無分別さの半ばは、みずから好んでやってる欺瞞《ぎまん》だった。他の半ばは、恋したいという楽しい馬鹿げたいつまでも失《う》せない欲求だった。ジャックリーヌはごく怜悧《れいり》だったから、それをみずから知らないではなかった。それでもやはり無分別にならざるを得なかった。みずからよく知ってる狂人は二人分の狂人に相当する。
 彼女は社交界に多く顔を出した。彼女に魅せられてる多くの青年らに取り囲まれ、一人ならずの者から恋されていた。しかし彼女はそのだれをも愛しないで、皆とふざけていた。自分がどんなに人を苦しめてるかは顧みもしなかった。美しい娘は恋愛を残忍な遊戯となすものである。人に恋されるのは至って当然のことだと見なしていて、自分の愛する者にたいする場合を除いては、何にも負い目がないと思っている。自分を恋してる男はすでにもうそれだけで十分幸福だと、好んで思いがちである。ただ彼女の弁護となる一事は、彼女は一日じゅう恋愛のことを考えてはいるけれど、恋愛のなんたるやを少しも知っていないことである。温室的な空気の中に育った社交界の若い娘は、田舎《いなか》の娘よりも早熟だと人は想像しがちであるけれど、事実はその反対である。読書や会話は、彼女のうちに恋愛の妄想《もうそう》を作り出して、それが無為閑散な生活のうちでは、しばしば恋愛狂に似寄ってくることが多い。時とすると彼女は、一編の物語の筋を前から読んでいて、その言葉をすっかり暗誦《あんしょう》してることさえある。したがって彼女はそれを心には少しも感じな
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