そして彼女の顔を見ないで、急いで出て行った。

[#ここから3字下げ]
……その時、いかなるものなるやと尋ぬる者
ありしならば、予はみずから卑下《ひげ》の色を面《おもて》に
浮かべつつ、ただ愛[#「愛」に傍点]とのみ答えしならん……
[#ここで字下げ終わり]

 諸聖人祭の日。戸外には、灰色の光と寒い風。クリストフはセシルの家にいた。セシルは子供の揺籠《ゆりかご》のそばにすわっていた。通りがかりに立ち寄ったアルノー夫人が、子供の上に身をかがめてのぞき込んでいた。クリストフは夢想にふけっていた。彼は幸福を取り逃がしたような気がしていた。しかし愚痴をこぼそうとは思わなかった。幸福が存在してることを知っていた。……太陽よ、御身を愛するためには御身を見るの必要はない! 私が影の中で打ち震えてるこの冬の長い日々の間、私の心は御身でいっぱいになっている。私の愛は私を暖かくしてくれる。私は御身がそこにいることを知っている……。
 セシルも夢想にふけっていた。彼女はつくづくと子供を見守って、ついにその子供を自分の子だと思うようになっていた。ああ、生活の創造的な想像たる夢想の祝福されたる力よ! 生活……生活とはなんであるか? それは冷たい理性やわれわれの眼が見るところのものではない。生活とはわれわれが夢想するところのものである。生活の基準は愛である。
 クリストフはセシルをながめた。眼の大きな田舎《いなか》めいたその顔は、母性的な――真の母親よりもいっそう母親めいた――本能の光に輝いていた。またクリストフは、アルノー夫人の疲れたやさしい顔をながめた。そしてそこに、興深い書物の中で見るように、人妻生活の隠れたる楽しみや苦しみを読み取った。人妻の生活は往々にして、人には気づかれないが、悲しみや喜びにおいては、ジュリエットやイゾルデの恋と同じほど豊富なものである。しかも宗教的な偉大さをより多くそなえている……。

[#ここから3字下げ]
人間的にして神的なるものの伴侶《はんりょ》……
[#ここで字下げ終わり]

 そして、既婚および未婚の女の幸福もしくは不幸をなすものは、信仰の有無ではないと同様に、子供の有無でもないと、クリストフは考えた。幸福というものは、魂の香《かお》りであり、歌う心の諧調《かいちょう》である。そして魂の音楽のうちのもっとも美しいものは、温情にほかならない。
 オリヴィ
前へ 次へ
全170ページ中168ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング