わなかった。彼はその感情についてセシルへはなんとも言わなかった。しかし、自分が感じてることを自分のために書きたいという要求には逆らい得なかった。彼は少し以前から、紙の上で自分の考えと話を交えるという危険な習慣に、ふたたび立ちもどっていた。恋愛の間はそれから脱していたが、今や孤独の自分を見出すと、その遺伝的な習癖にふたたびとらわれたのだった。それは苦しいおりの慰安であり、また自己解剖をする芸術家としてやむにやまれぬことだった。かくて彼は、あたかもセシルに語るようにして、しかもセシルに読まれることがないからいっそう自由に、自分自身を描写し、自分の苦しみを書きしるした。
 ところが偶然にも、その文章がジャックリーヌの眼に触れることとなった。その日ちょうど彼女は、幾年来になくもっともオリヴィエに近づいてる気がしていた。戸棚《とだな》を片付けながら、彼からもらった古い恋の手紙を読み返した。涙が出るほど心打たれた。戸棚の影にすわって、片付け物を終えることができずに、過去のことを思い浮かべた。その過去を破壊したのが痛切に悔いられた。オリヴィエの苦しみのことも考えた。かつて彼女はそういう考えを平気で見守ることはできなかったのである。彼女は彼を忘れることはできた。しかし自分のせいで彼が苦しんでるという考えを堪えることはできなかった。彼女は胸さける思いをした。彼の腕の中に身を投げ出して言いたかった。
「ああ、オリヴィエ、オリヴィエ、私たちはなんということをしたのでしょう。私たちは狂人だわ、狂人だわ。もう苦しめ合うことはやめましょうね!」
 もしそのとき、彼が帰って来たら……。
 ちょうどそのとき、彼女は手紙の文章を見出した……万事終わった。――彼女はオリヴィエから実際欺かれたと思ったろうか? おそらく思ったろう。しかしそれだけならば構わない。裏切りは彼女にとっては、行為においてなら意志におけるほど重大ではなかった。ひそかに心を他の女に与えることよりも情婦をもつことのほうを、彼女はいっそう容易に愛する男に許し得たろう。それは道理《もっとも》なことであった。
「おかしなことだ!」とある人々は言うだろう――(けれどそれこそ、愛の裏切りが完成されたときにしかそれを苦しまない憐《あわ》れな者どもである……。心が忠実である間は、肉体の汚れなどは大したことではない。一度心が裏切った場合には、その他の
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