った、「私はかなり穏和のほうですよ。」
「なるほど、」とクリストフは言った、「僕は君に感謝すべきだ。君は僕の七重奏曲を寄席珈琲店の歌にでも変え得られたはずだから。」
彼は両手に頭をかかえて、途方にくれて、口をつぐんだ。
「僕は自分の魂を売っちゃった。」と彼は繰り返していた。
「御安心なさい。」とヘヒトは皮肉に言った。「私は無茶なことはしませんから。」
「いったいフランス共和国が、こんな取引を許すとは!」とクリストフは言った。「君たちフランス人は、人間は自由だと言っていながら、思想を競売してるのだ。」
「あなたは代価を受け取られたでしょう。」とヘヒトは言った。
「貨幣三十枚、そうだ。」とクリストフは言った。「それを返すよ。」
彼はヘヒトへ三百フランを返そうと思って、ポケットを探った。しかしそれだけの金をもたなかった。ヘヒトはやや蔑《さげす》むように軽く微笑《ほほえ》んだ。その微笑にクリストフは腹をたてた。
「僕は自分の作品がいるのだ。」と彼は言った。「作品を皆買いもどすよ。」
「あなたにはそうする権利はありません。」とヘヒトは言った。「しかし私は人を無理につなぎ止めたくありませんから、あなたにお返しすることを同意しましょう――至当な補償金を出してくださることができれば。」
「するとも、」とクリストフは言った、「僕自身の身体を売っても。」
彼はヘヒトが二週間後にもち出してきた条件を、文句なしにすべて承諾した。まったく狂気|沙汰《ざた》ではあったが、彼は初めもらった金高より五倍もの価で、自分の作品全部の版権を買いもどすことにした。五倍というのも誇張ではなかった。なぜなら、ヘヒトがそれらの作品によって得た実際の利益に従って、細密に計算された代価だったから。クリストフはそれを払うことができなかった。ヘヒトの予期したとおりだった。ヘヒトはクリストフを、芸術家としてまた人間として他の青年音楽家のだれよりも高く評価していたので、彼をいじめるつもりではなかった。しかし彼に訓戒を与えたいのだった。彼は自分の権利に属する事柄に人から反抗されるのを許し得なかった。彼があれらの契約規定をこしらえたのではなかった。それは当時の規定だった。それゆえに彼はそれを正当なものだと思っていた。そのうえ彼は、それらの規定は出版者のためになるとともに著者のためにもなるものだと、真面目《まじめ》に信じて
前へ
次へ
全170ページ中112ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング