V将軍がすわっていた。なんとかお世辞を言わなければならないと思ってか、彼の楽曲の独創的なことをほめた。クリストフは不快を感じてただ辞儀をし、訳のわからない言葉をつぶやいた。将軍は無意味なやさしい微笑を浮かべながら、極端に丁寧な調子で話しつづけた。そして、あんなに長い音楽をどうしてそらでひけるか、それを説明してもらいたがった。クリストフはその好々爺《こうこうや》を長|椅子《いす》からなぐり落としてやろうかとも考えた。彼はリュシアン・レヴィー・クールがなんと言ってるか聞きたがっていた。攻撃の口実をねらいすましていた。少し前から、自分が何か馬鹿げたことをしでかしそうな気持になっていた。どうしても馬鹿げたことをするに違いない気がした。――リュシアン・レヴィー・クールは、一団の婦人達を相手に、例のわざとらしい声で、大芸術家らの意図やその内心の思想などを、説明してきかしていた。ちょっとあたりがひっそりとなった合い間にクリストフは、彼がワグナーとルードウィッヒ王との友情について、言葉の裏に醜関係をにおわせながら話してるのを、それと聞き取った。
「もうたくさんだ!」と彼はそばのテーブルを拳固《げんこ》でたたきながら叫んだ。
人々は呆気《あっけ》に取られて振り向いた。リュシアン・レヴィー・クールはクリストフの眼つきに出会い、軽く蒼《あお》ざめて言った。
「君は僕に向かって言ってるのか。」
「君にだ、恥知らずめ!」とクリストフは言った。
彼はむっくと立ち上がった。
「世の中のりっぱなものを、君はなんでも汚そうとするんだな。」と彼は猛然と言いつづけた。「出て行け、馬鹿野郎、窓から放り出すぞ!」
彼は進み寄っていった。婦人たちはちょっと声をたてて遠のいた。少し騒ぎとなった。クリストフはすぐ人に取り巻かれた。リュシアン・レヴィー・クールは半ば腰を浮かしていた。それからまた肱掛椅子《ひじかけいす》に事もなげにすわった。通りかかりの召使を小声に呼んで、一枚の名刺を渡した。そして、何事も起こらなかったかのように話をつづけた。しかしその眼瞼《まぶた》は神経質にまたたき、ちらちら横目で見やって、人々の様子をうかがっていた。ルーサンはクリストフの前に立ちふさがっていたが、その上衣の襟《えり》をとらえて、彼を扉《とびら》のほうへ連れて行った。クリストフは憤怒《ふんぬ》と恥とでいっぱいになり、頭をたれて、ルーサンの白シャツの大きな胸部を眼の前にし、その光ったボタンを数えていた。そしてそのでっぷりした男の息を顔の上に感じていた。
「ええ、君、ええ、どうしたんだ?」とルーサンは言っていた。「なんとしたことだ? 反省してみたまえ。ここをどこだと思う? おい、気でも狂ったのか。」
「あなたの家へなんか、もう二度と足踏みはしない!」とクリストフは言いながら、向こうの両手を振り払った。そして扉へ進んでいった。
人々は用心して道を開いていた。着物置場で、一人の召使が彼に盆を差し出した。その上にはリュシアン・レヴィー・クールの名刺がのっていた。彼は訳がわからずにそれを取り上げて声高に読んだ。それからいきなり、激怒の息を吐きながらポケットの中を探った。五つ六ついろんな物を取り出したあとで、三、四枚の皺《しわ》くちゃな汚《きたな》い名刺を引き出した。
「そら、そら!」と言いながら彼は、それらの名刺を盆の上に激しくたたきつけたので、一枚は下にはね落ちてしまった。
彼は出て行った。
オリヴィエは何にも知らないでいた。クリストフは介添人として、手当たり次第に選んだ。音楽批評家のテオフィル・グージャールと、スイスのある大学の私任教授でドイツ人であるバールト博士とだった。彼はこのバールトに、ある晩|麦酒店《ビヤホール》で出会ってそれから知り合いになったのだった。彼は相手にたいしてあまり同情はいだかなかったが、しかし二人いっしょになって故国のことを話すことができるのだった。リュシアン・レヴィー・クールの介添人らと相談のうえ、武器はピストルにきめられた。クリストフはいかなる武器の使い方も知らなかった。それでグージャールは、いっしょに射撃場へ行って少しは稽古《けいこ》しとくのも悪くなかろうと言った。がクリストフは断わった。そして翌日を待ちながら、仕事にかかった。
しかし彼の精神はよそにあった。悪夢の中でのように、漠然《ばくぜん》としたしかも固定してるある観念の唸《うな》り声が耳に響いていた……。「不愉快なことだ、そうだ、不愉快なことだ……どうしたというのだ? ああ、明日がその決闘……冗談だ!……けっしてあたるものか……だがあたるかもしれない……あたったら? あたる、そう、あたったら?……彼奴《あいつ》の指がちょっとしまると、それで俺《おれ》の生命がなくなる……すると……そうだ、明日は、今
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