あ考えてみたまえ、」と彼は言った、「馴染《なじみ》のない土地で、愛する者たちから遠く離れて、そのまま死ぬかもしれないのだ! どんな厭なことでもそれよりはましだ。それにまた、これから幾年生きるかしれないが、それほど齷齪《あくせく》するにも及ぶまいじゃないか……。」
「いつでも死ぬことばかりを考えてろとでも言うのか!」とクリストフは肩をそびやかしながら言った。「それにもし死ぬことがあっても、愛する者たちの幸福のために奮闘しながら死ぬのは、無為無能のうちに消えてしまうよりはましじゃないか。」

 同じ五階の小さいほうの部屋には、オーベルという電気職工が住んでいた。――この男は他の借家人たちから孤立して暮らしていたが、それはけっして彼のせいではなかった。彼は平民の出であって、もうけっして平民の間にもどるまいと熱望していた。病身らしい小男で、いかめしい顔をし、眼の上に筋があって、錐《きり》のように人を刺し通す鋭い直線的な眼つきをしていた。金褐色《きんかっしょく》の口|髭《ひげ》、嘲弄《ちょうろう》的な口、口笛を吹くような話し方、曇った声、首にまきつけてる絹ハンケチ、いつも加減が悪い上にのべつの喫煙癖のためさらに痛められてる喉《のど》、微弱な活動力、結核患者めいた気質。空威張《からいば》りと皮肉と悲痛との交じり合ってる様子だったが、激しやすい大袈裟《おおげさ》な率直なしかもたえず人生に欺かれてる精神が、その下に隠れていた。ある中流人の私生児だったが、彼はその父親の名も知らず、とうてい尊敬できない母親に育てられ、悲しい汚らわしい多くのことを幼年時代から見てきた。各種の職業をやってみ、フランス内を方々旅した。学問をしたいという感心な心がけで、非常な努力をして独修した。歴史、哲学、頽廃《たいはい》的な詩など、あらゆるものを読んでいた。芝居、美術展覧会、音楽など、あらゆるものに通じていた。中流人的な文学や思想を心から尊重していて、それに蠱惑《こわく》されていた。大革命の初めのころの中流人士らを逆上さした空漠《くうばく》熱烈な観念論に、心からしみ込んでいた。理性の無謬《むびゅう》さを、無際限の進歩――われいずこまでか登り得ざることあらん[#「われいずこまでか登り得ざることあらん」に傍点]――を、地上へ幸福の到来を、全能なる学問を、人類神を、人類の長子たるフランスを、確信していた。熱烈な軽
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