小なことやまたは天才の欠乏をさえも、後はもはやとがめようとは思わなかった。彼らは一つの作品よりもさらに大きなものを、音楽的民衆を、創《つく》り出したのであった。新しいフランス音楽を鍛え上げた、それらの偉大なる労働者らのうちでも、ことにある一人の姿が彼にはなつかしかった。それはセザール・フランクの姿だった。育て上げた勝利を見ずに死んだフランクは、あたかも老シュルツのように、フランス芸術のもっとも暗澹《あんたん》たる時代の間に、自分の信仰の宝と民族の天才とを、おのれのうちに完全に保有していたのである。困窮と軽蔑《けいべつ》された労働との生活のうちに、忍耐強い魂の不変の清朗さを失わず、その諦《あきら》めの微笑で温良に満ちた作品を照らしていた、この天使のごとき楽匠が、音楽の聖者が、享楽的なパリーのまん中にいたことは、心打たるる光景だった。

 フランスの深い生活を知らないクリストフにとっては、無信仰な民衆のさなかにこの信仰ある大芸術家がいたことは、ほとんど奇跡に近い現象と思われた。
 しかしオリヴィエは静かに肩をそびやかした。清教徒たりしフランソア・ミレーに匹敵するほど、聖書《バイブル》の息吹《いぶ》きに満たされていた画家が、また明快なパストゥールほど、熱烈謙譲な信仰に貫かれていた学者が、ヨーロッパのいかなる国にいたかと反問した。――パストゥールこそは、無窮という観念の前には平伏し、その思想を奪われるときには、彼自身で言ってるとおり、「将《まさ》にパスカルの崇高な狂暴にとらわれんとしかかって、理性に宥恕《ゆうじょ》を求めながら、痛切な苦悩に陥った」のだった。確実な歩行で、一足も他にそれずに、「第一歩の自然界、極微なるものの大なる暗夜、生命の生まれ出てくるもっとも深い生物の深淵《しんえん》、」その中を彷徨《ほうこう》してる彼の、熱烈な理性にとっては、ミレーの雄々しい写実主義にとってと同じく、カトリック教ももはや邪魔物とはならなかった。そしてこのミレーやパストゥールは実に、田舎《いなか》の民衆の間から現われてきて、田舎の民衆の中から信仰を汲《く》みとったのだった。そういう信仰は常にフランスの土地に潜んでいて、煽動《せんどう》政治家らの弁舌によってもけっして打ち消されないものだった。オリヴィエはその信仰をよく知っていた。彼は胸の中にそれをになってるのであった。
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