え、作戦を議していた。オーステルリッツの戦いを説明しワーテルローの戦いを訂正する室内戦略家が、もろもろの学芸院や大学などにはたくさんいるが、彼もその一人だった。彼はそういう「ナポレオン派」をまっ先にあざけって、自分の皮肉をみずから面白がってはいたけれど、それでもなおやはり、遊びにふけってる子供のように、ナポレオンの素敵な話に酔わされていた。ある種の逸話になると眼に涙まで浮かべた。その気弱さに気づくときには、ばかな老耄《おいぼれ》だとみずから叫んで笑いこけた。実を言えば、彼をナポレオン崇拝者たらしめてるものは、その愛国心よりもむしろ、活動にたいする小説的な興味と精神的な愛好とであった。と言っても、彼はりっぱな愛国者であって、生粋《きっすい》のフランス人の多くよりもいっそう深くフランスに愛着していたのである。いったいフランスの反ユダヤ主義者らはフランスに住んでるユダヤ人らのフランス感情を、不当な猜疑《さいぎ》心でくじきながら、よからぬ馬鹿げたことをなしている。けれども、あらゆる家族は一、二代の後になると、定住した土地にかならず執着するものである、という理由をほかにしても、ユダヤ人らは、知性の自由についてもっとも進歩した観念を西欧において代表してるこのフランス民衆を愛すべき、特殊な理由をもっている。彼らは百年来、フランス民族を今日のごとくあらしむるのに貢献し、その自由はある点まで彼らの手になされたものであるだけに、ますます彼らはフランス民族を愛している。なんで彼らが、あらゆる封建的反動の威嚇《いかく》に対抗してその自由を守らないことがあろうぞ。この養い児のフランス人とも言うべきユダヤ人らをフランスに結びつけてる糸を――一群の有害な馬鹿者どもが望んでるように――断ち切ってしまおうとすることは、敵に加担することである。
 フランスの浅慮な愛国者らは、フランスに移住してる他国人はすべて隠れたる敵だという新聞紙の説に脅かされて、生まれつき歓待的な精神をもっていながらも、諸民族の会流たるユダヤ民族の豊かな運命を疑い憎み否定せざるを得ないのであるが、シャブラン少佐もその一人だった。それで彼は、二階の借家人と近づきになってもよかったのであるが、やはり未知のままでいるほうがよいと思っていた。ヴェール氏のほうでは、少佐と話を交えることを好んでいたけれど、少佐の国民主義を知っていて、軽い軽
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