誤に駆られて、二、三年間の狂愚な行ないのために、全生涯をふたたび回復し得られないほど害して、まったく駄目《だめ》になってしまうあの恐るべき年ごろを、危機の年齢を、彼もまた通っていた。彼がもし自分の考えにふける隙《ひま》があったら、落胆か遊蕩《ゆうとう》かに陥ったかもしれない。彼は自分のうちを内省するたびごとに、病的な夢想に、人生にたいする嫌悪《けんお》、パリーにたいする嫌悪、いっしょに入り交って腐ってゆく無数の人間の、きたない発酵にたいする嫌悪の情に、いつもとらわれるのであった。しかし姉を見ると、その悪夢は消え失《う》せてしまった。そして、彼女は彼を生かさんがためにのみ生きていたから、彼も生きる気になった、心ならずも幸福になりたい気になった……。

 かくて、堅忍と宗教と高尚な願望とでできてる熱い信念の上に、彼らの生活はうち立てられた。二人の子供の全存在は、オリヴィエの成功というただ一つの目的へ向けられた。アントアネットはいかなる仕事をもいかなる屈辱をも甘受した。彼女は方々の家庭教師をした。ほとんど召使同様に取り扱われた。女中みたいに教え子の散歩の供をし、ドイツ語を教えるという名目で、幾時間もいっしょに往来を歩かねばならなかった。そういう精神上の苦痛や肉体上の疲労にも、彼女は弟にたいする愛情によって、また自負心によってまで、一種の享楽を見出すのだった。
 彼女は疲れきってもどって来ながら、オリヴィエの世話をしてやった。オリヴィエは半寄宿生として中学で一日を過ごし、夕方にしか帰って来なかった。彼女は夕食の支度《したく》をした、ガスこんろかアルコールランプかで。オリヴィエはいつも食いたがらなかった。どんな物にも厭気《いやけ》を起こし、なお肉をきらった。無理に食べさせるか、あるいは気に入るちょっとした料理をくふうしなければならなかった。そしてかわいそうにアントアネットは、料理が上手《じょうず》ではなかった。非常に骨折ったあとでも、彼女の料理は食えないと彼から言われるような、悲しい目に出会った。台所のかまどの前の絶望――無器用な若い世帯婦のみが経験する、だれにも知られないところの、生命を毒し時には睡眠をも毒する無言の絶望――それを幾度もくり返したあとにようやく、彼女は少し覚え知ったのだった。
 食事のあとで彼女は、使った少しの皿《さら》を洗ってから――(彼はその仕事を手伝おうとしたが、彼女は承知しなかった)――弟の勉強を母親みたいに監督した。その感じやすい少年の気持を害さないようにいつも注意しながら、学課を暗誦《あんしょう》させ、宿題を読んでやり、調べてやることさえあった。食卓と勉強机とに兼用してるただ一つのテーブルで、二人は晩を過ごした。彼は宿題をし、彼女は縫い物か写し物かをした。彼が寝てしまうと、彼女は彼の服の手入れをしたり、または自分の勉強をした。
 とやかく暮らしてゆくのでさえ非常に困難ではあったが、二人はたがいに心を合わして、貯《たくわ》えることのできる金はまず何よりも、母がポアイエ家から借りてる負債を返すのにあてることとした。それはポアイエ家の人たちがうるさい債権者だからというのではなかった。彼らからは風の便《たよ》りもなかった。彼らはその貸し金をまったく失ったものだと思って、もう念頭においてはいなかった。それだけの金で、不名誉な親戚を厄介《やっかい》払いしたことを、心では喜んでいた。しかし二人の子供の方から言えば、軽蔑《けいべつ》すべきその連中に母親が何かの借りがあることは、自尊心と孝行心との上から苦しかった。二人は不自由を忍び、少しの慰みや服装や食べ物などからわずかなものを節して、借りの二百フランだけになそうとした――それも彼らにとっては大金だった。アントアネットは自分一人だけ不自由を忍ぼうとした。しかし弟は彼女の考えを知ると、ぜひとも同様にせずにはいなかった。彼らは二人ともその仕事に心を尽くして、日に幾スーかを余し得るときはうれしかった。
 倹約を旨としてわずかずつ貯えながら、彼らは三年間に所要の金額に達することができた。非常な喜びだった……。アントアネットはある晩ポアイエ家へ行った。彼女は無愛想に迎えられた。援助を求めに来たと思われたのだった。彼らは機先を制するのが得策だと考えて、少しも便りをしなかったこと、母親の死を知らせもしなかったこと、用のあるときにしか顔を出さないこと、などを冷やかに彼女へ責めた。彼女はそれをさえぎって、迷惑をかけるつもりで来たのではないと言った。借りた金をもって来たまでのことだと言った。そしてテーブルの上に二枚の紙幣を置きながら、返済証を求めた。彼らはすぐに態度を変え、そして受け取りたくないふうを装った。数年たってから、もはや当てにしていない金を返しに来る債務者にたいして、債権者がにわかに
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