てきたりした。その機会に乗じて、令嬢の意を迎えることにつとめた。令嬢といっしょに庭を散歩した。髭《ひげ》をひねりながら、また、覧台《テラース》の舗石に拍車を鳴らしながら、腕のように太いお世辞を言ったり、愉快な冗談口をきいたりした。アントアネットは彼を面白い男だと思った。彼女の驕慢《きょうまん》と愛情とはしみじみとそそられた。彼女は幼い初恋のうれしさに浸り込んだ。オリヴィエはその田舎《いなか》紳士をきらいだった。強くて鈍重で粗暴で、騒々しい笑い方をし、螺盤《まんりき》のようにしめつける手をもち、彼の頬《ほお》をつまみながらいつも見くびりがちに、「坊っちゃん……」などと呼びかけるからであった。ことにきらいだった――なんとなく虫が好かなかった――わけは、他家《よそ》の者であるその男が姉を愛してるからであった……自分の姉を、自分一人のもので他《ほか》のだれのものでもない大事な姉を!……

 そのうちに、破綻《はたん》が到来した。数世紀以来同じ一隅《いちぐう》の土地に固着してその汁《しる》を吸いつくした、それらの古い中流家庭の生活には、早晩一破綻の起こるのが常である。それらの家庭は静かな眠りをむさぼっていて、自分が身を置いてる大地とともに永遠なものだとみずから信じている。しかしその足下の大地は死滅して、もはや根がなくなっている。鶴嘴《つるはし》の一撃に会えばすべてが崩壊する。すると人は不運だと言い、不慮の災いだと言う。けれども樹木にも少し抵抗力があったならば、決して不運はないであろう。あるいは少なくとも、数本の枝は吹き折っても幹を揺るがすることのない暴風のように、その困難はただ通り過ぎてしまうであろう。
 銀行家ジャンナンは、気が弱く信じやすく多少|驕慢《きょうまん》だった。彼はわざと真実を見ようとせず、「実際」と「外見」とを混合しがちだった。彼は無分別に濫費していたが、それでも財産に大した穴を明けはしなかった。実際のところその濫費は、古来の倹約な習慣のために後悔のあまり和らげられていた――(彼は大束の薪《まき》を費消しながら、一本のマッチをおしんでいた。)彼はまたその事業にもごく慎重ではなかった。友人に金を貸すのをかつて拒んだことがなかった。そして彼の友人となることもさほど困難ではなかった。彼は受取証を書かせるだけの労を取らないのが常だった。貸金の計算なども粗漏をきわめていて、向こうから返して来なければほとんど催促をしなかった。他人がこちらの誠意を信頼してくれてると思うとともに、こちらからも他人の誠意に信頼していた。それにまた、儀式張らない円滑な態度のために小心だと思われていたが、実際はそれ以上に小心だった。厚顔な哀願者を体よく断わることもなし得なかったし、その支払能力を気づかってる様子をも示し得なかった。好意と意気地なさとが強く働いていた。だれの気をも害したくなかったし、また他人から侮辱されるのを恐れていた。それでいつも譲歩した。そしてみずからごまかすために進んで譲歩して、あたかも金を取られるのは仕事をしてもらうことででもあるかのようだった。実際にそう思わないでもなかった。自負心と楽観とのあまり、自分のする事はみなりっぱな事だとたやすく思い込んでいた。
 そういうやり方は、ますます債務者らを寄せつけるばかりだった。百姓らはいつでも彼の恩恵にすがれることを知っていたし、また実際恩恵にはずれることがなかったので、皆彼を尊敬していた。しかし世人の感謝は――善良な人々の感謝でさえも――適当な時期に摘み取らなければならない果実のごときものである。木の上にあまり古く放っておくと、やがて黴《かび》が生えてくる。数か月たつと、ジャンナン氏から恩恵をこうむった人々は、その恩恵も当然のことだと考える癖がついてしまった。それのみならず、ジャンナン氏があんなに喜んで自分たちを助ける以上は、そこになんらかの利益があるに違いないと、自然に信じがちであった。もっとも気のきいた者たちは、自分の手で取った兎《うさぎ》か、自家の鶏小屋から集めた卵かを、市《いち》の立つ日に銀行家へ贈って、それで帳消しになったつもりでいた――負債をでなくとも、少なくとも感謝の念だけは。
 それまでは、要するにまだわずかな金額のことばかりだったし、ジャンナン氏の相手はかなり正直な人ばかりだったので、大した不都合をきたさなかった。金の損失は――それを彼はだれにも一言も漏らさなかったが――ごく僅少《きんしょう》な額だった。しかしジャンナン氏がある奸策《かんさく》家と接触するようになってからは、様子が違ってきた。この奸策家はある工業上の大事業を企てていて、銀行家ジャンナンの人の善《よ》さとその資力とを聞き伝えたのだった。態度の堂々たる人物で、レジオン・ドヌールの勲章を所有し、友人としては、二、三
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