シルヴァン・コーンは冷笑した。
 彼は公衆一般の柔惰にいかにも意を安んじ満足してる様子だったので、クリストフは彼をながめながら、この男は自分よりはるかにフランスにたいして門外漢だなと、にわかに感じた。
「こんなはずではない。」と彼は、通俗な劇場から嫌《いや》になって出てきた晩と同じように、ふたたび言った。
「他に何かあるはずだ。」
「このうえ何がほしいんだ?」とコーンは尋ねた。
 クリストフは執拗《しつよう》にくり返した。
「フランスさ。」
「フランスとは、われわれのことだよ。」とシルヴァン・コーンは笑い出しながら言った。
 クリストフはちょっと彼を見つめ、それから首を振って、またくり返した。
「他に何かある。」
「じゃあ捜してみるがいい。」とシルヴァン・コーンはますます笑いながら言った。

 クリストフは捜しあてることができた。まさしく彼らは他のものを隠しもっていた。
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     二


 パリーの芸術が発酵してる思想の醸造|桶《おけ》を、クリストフは次第にはっきりとのぞき込むにつけ、一つの強い印象を受けた。それは、この世界一家的な社会における婦人の最上権であった。婦人はこの社会で、法外な異常な地位を占めていた。もはや男子の伴侶《はんりょ》たることだけでは満足しなかった。男子と同等になってさえも満足しなかった。婦人の喜びが男子にとっての第一の掟とならなければ承知しなかった。そして男子もそれに賛成していた。民衆は老衰してゆく時、その意志や信念やあらゆる生存の理由を、快楽を与えてくれる者の手に委《ゆだ》ねるものである。男子は作品を作る。しかし女子は男子を作る――(当時のフランスにおけるごとく、女子もまた作品を作ることに立ち交らない時には)――そして女子が作るというのも、実は破壊するといった方が至当かもしれない。もちろん、永遠の女性は常に、優良な男子の上に刺激的な力を与えはした。しかし一般男子にとっては、疲弊した時代にとっては、だれかが言ったように、まったく別な女性がある。この女性もまた永遠なものではあるが、男子を下へ引きおろすのである。そしてかかる女性こそ、パリーの思想の主人であり、フランス共和国の王であった。

 クリストフは、シルヴァン・コーンの紹介により、また自分の技倆《ぎりょう》によって、多くの客間《サロン》から迎えられていたが、そこで彼は珍しげに、パリー婦人を観察した。彼は多くの外国人と同じく、自分が出会った二、三の類型によって得た仮借《かしゃく》なき意見を、フランス婦人全般に押し広げてしまった。その類型というのは、年若な婦人で、大して背が高くなく、さほど清楚《せいそ》でもなく、しなやかな身体、染めた髪の毛、愛嬌ある顔の上にある、身体不相応に大きな帽子。はっきりした顔だち、少し脹《ふく》れっ気味の肉。どれもみな、かなり格好はよいが、たいてい卑俗で、特質のない小さな鼻。なんら深い生命はないがいつも活発であって、できるだけ輝かせ、できるだけ大きく見せようとつとめてる眼。しまりのよいきっぱりした口。ぽってりした頤《あご》。恋愛事件にばかり没頭しながらも、決して世間や家庭への注意をも怠らないそれら華奢《きゃしゃ》な婦人らの、物質的な性質を示してる顔の下部。きれいではあるが、民族的な根は少しもない。それら社交婦人のほとんどすべてには、一種の臭みが感ぜられた。腐敗してる中流婦人の臭みであり、もしくはそう見せたがってる中流婦人の臭みであって、その階級特有の伝統が見えていた、慎重、倹約、冷静、実際的能力、利己主義など。貧弱なる生活。官能の要求よりもむしろ頭の好奇心から多く発した、快楽の欲望。平凡なしかも断固たる意志。きわめてりっぱに衣服をまとい、自動的な細かな身振りをしていた。手の甲や掌《たなごころ》で、髪や櫛《くし》をこまかにたたきなでていた。そしていつも、大鏡の近くででもまた遠くででも、自分の姿が映るようなふうに――そして他人をも監視できるようなふうに――すわるのであった。そのうえになお、食事の時でもまたはお茶の時でも、よくみがかれて光ってる匙《さじ》やナイフや銀の珈琲皿《コーヒーざら》などに、自分の顔がちらと映るのを見落とさないで、何よりもその方を多く気にかけていた。食卓ではきびしい摂生法を守《まも》っていた。理想的な白粉《おしろい》ののりぐあいを害するかもしれないような食物は、いっさい口にしないで、水ばかり飲んでいた。
 クリストフが出入する周囲には、ユダヤ婦人が割合に多かった。彼はユーディット・マンハイムに出会って以来、ユダヤ婦人にあまり空望をかけはしなかったが、それでも、いつも彼女らにひきつけられた。シルヴァン・コーンは彼を、イスラエル系統の二、三の客間《サロン》へ紹介していた。そこで彼は、才知を好むこの民
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