ニーチェの超人など、偉大な人々の影法師が、彼らの舞台でなんと悲しげな顔をしていたことだろう!……
 パリーの著作者らは、新しいことを考えてる様子をするのに、たいへん骨折っていた。が根本は皆保守的であった。大雑誌、大新聞、政府補助の劇場、学芸会などのうちにあって、過去が、「永遠なる昨日」が、これほど一般的に君臨してる文学は、ヨーロッパに他に例がなかった。パリーが文学における関係は、ロンドンが政治におけるのと等しかった。すなわちヨーロッパ精神の調節機であった。フランス翰林院《かんりんいん》は、一つのイギリス上院であった。旧制に成っている幾多の制度は、その古い精神を新しい社会に飽くまで課そうとしていた。革命的な諸分子は、すぐに排斥されるか同化されるかした。そうされるのがまた彼らの本望でもあった。政府は政治上では社会主義的態度を装《よそお》っていたが、芸術上では、官学派の導くままになっていた。人々は諸学芸会にたいして民間の団体としてしか争わなかった。それもへまな争い方だった。なぜなら、団体の一人がある学芸会にはいり得るようになると、すぐにそれへはいり込んで、最もひどく官学風になるからであった。そのうえ、ある軍隊の前衛にいようが後列にいようが、作者はその軍隊の捕虜《ほりょ》であり、その軍隊の思想の捕虜であった。ある者は官学的な信条[#「信条」に傍点]のうちに蟄居《ちっきょ》し、ある者は革命的な信条[#「信条」に傍点]のうちに蟄居していた。そして結局は、いずれにしても同じ目隠しであった。

 クリストフの眼を覚《さ》まさせるために、シルヴァン・コーンはまた特殊な芝居へ連れて行こうと言い出した――精練の極致たる芝居へ。そこでは、殺戮《さつりく》、強姦《ごうかん》、狂暴、拷問、えぐり出された両眼、臓腑《ぞうふ》をぬき出された腹など、あまりに開化した選良人らの神経を刺激し、隠れたる野蛮性を満足させるようなものが、見られるのであった。美しい女や当世風の才士などからなる観客――裁判所の息苦しい室の中に午後じゅうはいり込んで、しやべったり笑ったりボンボンをかじったりしながら、破廉恥な裁判を傍聴するのと、同じような奴《やつ》ら――に、それは非常な魅力を及ぼしていた。しかしクリストフは、憤然としてそれを拒んだ。この種の芸術にはいり込めばはいり込むほど、臭気がますますはっきりしてきて、やがて彼をとらえ、ほのかに匂《にお》ってたのが、次に執拗《しつよう》になり、息苦しいほどになってきた。それは死の臭気だった。
 死、それはかかる華麗と喧騒《けんそう》とのもと至るところにあった。それらのある作品にたいしてただちに嫌悪《けんお》の情を感じたのが、なにゆえであるか今やクリストフにわかった。彼を不快ならしめたのは、その不道徳ではなかった。道徳、不道徳、非道徳――そういう言葉は皆なんらの意味をもなさない。クリストフはかつて道徳論をたてたことはなかった。彼は過去のうちに、ごく偉大な詩人と音楽家とを愛していた。しかしそれらはけちな聖者ではなかった。彼は偉大な芸術家に出会う機会を得る時、告白録を尋ねはしなかった。むしろこう尋ねた。
「あなたは健全ですか。」
 健全であること、それが万事だった。ゲーテは言った。「もし詩人が病んでるなら、まず回復することから始めるがよい。回復したら、その時に書くがよい。」
 パリーの著作者らは病気になっていた。あるいは、健全な者はそれを恥として、健全なことをみずから押し隠し、りっぱな病気にかかろうとつとめていた。彼らの病気は、その芸術の何かの特質に現われてはしなかった――快楽の嗜好《しこう》に、思想の極端な放逸さに、破壊的な批評精神に、現われてはしなかった。すべてそれらの特質は、健全でも不健全でもあり得るのであった――場合によっては、実際にそうであった。その中には死の萌芽《ほうが》は少しもなかった。もし死があるとしても、それはそういう力から来たのではなかった。それらの人々の力の使い方から来たのであった。それらの人々の中にあるのであった。――そして彼クリストフもまた、快楽を好んでいた。彼もまた自由気ままを好んでいた。彼はかつて種々意見を率直に述べたために、故郷の小さなドイツの町で不評を買ったことがあった。ところが今では、それらの意見がパリー人らによって唱道されているのを見出し、そしてパリー人らによって唱道されてると、今では嫌悪《けんお》の情を感じた。それにしても意見は同じものだった。しかしながら同じ響きをたててはいなかった。クリストフがいらだって、過去の大家らの軛《くびき》を払いのけた時、パリーの審美眼と道徳とにたいする征途にのぼった時、それは彼にとって、これらの才人らにとってのように一つの遊戯ではなかった、彼は真摯《しんし》だった、恐ろしく真摯
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