」に傍点]がオペラ・コミック座に君臨してい、パリアッチ[#「パリアッチ」に傍点]がオペラ座に君臨していた。マスネーとグノーとがいちばん多くもてはやされていた。音楽上の三体神ともいうべき、ミニョン[#「ミニョン」に傍点]とユグノー教徒[#「ユグノー教徒」に傍点]とファウスト[#「ファウスト」に傍点]が、一千回の公演を景気よく越していた。――しかしそういうのはなんら重きをなさない出来事だった。眼中におくに足りないことだった。一つの不都合な事実が理論の邪魔になる時には、最も簡単な方法は、その事実を否定することである。フランスの批評家らは、右のような厚かましい作品を否定し、それを喝采《かっさい》する公衆を否定していた。も少しおだてられたら、音楽劇全体を否定するかもしれなかった。彼らに言わすれば、音楽劇は文学の一種であって、それゆえに不純なものであった。(彼らは皆文学者だったから、文学者たることを皆きらってるのだった。)表現的で叙述的で暗示的なあらゆる音楽、一言にして言えば、何かを言わんとするあらゆる音楽は、不純の名を冠せられていた。――各フランス人のうちには、ロベスピエールのごとき性質がある。だれかをまたは何かを純粋にせんがためには、いつもその首を切らざるを得なくなる。――フランスの大批評家らは純粋な音楽をしか容認しないで、その他は衆愚の手に任していた。
クリストフは自分の趣味がいかに劣ってるかを考えて、非常に心細い気がした。しかし多少慰められたことには、劇を軽蔑《けいべつ》してるそれらの音楽家らが皆、劇のために書いてることだった。歌劇《オペラ》を書かない者は一人もなかった。――しかしそれもまたたぶん、なんら重きをなさない事柄に違いなかった。彼らを批判するには、彼らが希望してるとおりに、彼らの純粋なる音楽によってしなければならなかった。クリストフは彼らの純粋な音楽を捜した。
テオフィル・グージャールは、国民的芸術に奉仕してるある協会の音楽会に、クリストフを連れていった。そこでは新しい光栄が、徐々に形造られ育《はぐく》まれていた。それは大きな団体であって、幾つもの礼拝堂をもってる小教会であった。各礼拝堂にはその聖者があり、各聖者にはそれぞれ信仰者があって、この信仰者らは好んで隣りの礼拝堂の聖者を悪口していた。それらの聖者らのうちに、クリストフは初め大した差異をおかなかっ
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