ては席について、目配せをしあった。やって来るのが済むと、帰りかける者が出てきた。クリストフはそれらの雑踏の間にも、頭の力を集中して作品の筋をたどった。そして非常な努力を払ってから、愉快を感ずるようになった。――(なぜなら、その管絃楽団は上手《じょうず》だったし、またクリストフは長い間交響曲を聞かないでいたから。)――するとちょうどグージャールが、彼の腕を取って、演奏最中に言った。
「もう出かけよう。ほかの音楽会へ行こう。」
 クリストフは眉《まゆ》をしかめた。しかしなんとも答え返さないで、案内されるままに従った。二人はパリーを半分ほども横切って他の音楽会場へ着いた。馬小屋みたいな匂《にお》いがする広間で、時間を違えて、夢幻的なものと通俗的なものとをやっていた。――(パリーにおいては、音楽は、二人組んで一つの室を借りる貧しい労働者に似ていた。一人が寝床から出ると、その温《あたた》かい蒲団《ふとん》の中にも一人がはいるのである。)――もとより空気は通わない。ルイ十四世以来フランス人は、空気を不健康なものだと考えている。そして劇場の衛生法は、ヴェルサイユ宮殿の昔の衛生法のように、少しも息をしないということである。一人の上品な老人が、獣使いのような身振りで、ワグナーの一幕を指揮していた。不幸な獣――その一幕――は、ちょうど見世物の獅子《しし》に似ていた。脚燈の火に触れはすまいかと狼狽《ろうばい》しているが、一方では鞭《むち》打たれて、無理にも獅子だということを思い起こさせられているのである。物知りげな女たちや無神経な娘たちが、唇《くちびる》に微笑を浮かべて見物していた。獅子がうまく芸当をやり、獅子使いが敬礼をして、両方とも見物の喝采《かっさい》に報いられたあとに、グージャールはなおクリストフを、三番目の音楽会へ連れて行こうとした。しかしこんどは、クリストフは椅子《いす》の肱掛《ひじかけ》から両手を離さないで、もう動くのは嫌《いや》だと言ってのけた。ここでは交響曲《シンフォニー》の切れ端を、あすこでは協奏曲《コンセルト》の断片を、通りがかりに聞きかじりながら、音楽会から音楽会へと駆け回るのは、もうたくさんだった。グージャールはいたずらに、パリーでの音楽批評は聴《き》くより見る方が主要な仕事だと、説明してやろうと試みた。クリストフはそれに抗弁して、音楽は辻《つじ》馬車の中で聴く
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