て、故国にいる人々や父なるライン[#「父なるライン」に傍点]のために、ドイツ流の祝杯を挙げたがったので、コーンのいらだちは極度に達した。コーンは彼が今にも歌い出そうとするのを見てたまらなくなった。隣席の人々は二人の方を皮肉そうにながめていた。コーンは急な用務があるという口実を設けて立ち上がった。クリストフはそれにすがりついた。いつ推薦状をもらって、その家へやって行き、稽古《けいこ》を始めることができるか、それを知りたがった。
「取り計らってあげよう。今日、今晩にでも。」とコーンは約束した。「すぐに話をしてみよう。安心したまえ。」
 クリストフは執拗《しつよう》だった。
「いつわかるだろう?」
「明日《あした》……明日……または明後日。」
「結構だ。明日また来よう。」
「いやいや、」とコーンは急いで言った、「僕の方から知らせよう。君を煩わさないように。」
「なあに、煩すも何もあるものか。そうだろう。それまで僕は、パリーで何にも用はないんだ。」
「おやおや!」とコーンは考えた。そして大声に言い出した。「いや、手紙を上げる方がいい。しばらくは面会ができないかもしれない。宿所を知らしてくれたまえ。」
 クリストフは宿所を彼に書き取らした。
「よろしい。明日手紙を上げよう。」
「明日?」
「明日だ。間違いないよ。」
 彼はクリストフの握手からのがれて逃げ出した。
「あああ!」と彼は思っていた。「たまらない奴だ。」
 彼は店に帰ると、「あのドイツ人」が尋ねて来たら留守にするんだと、給仕に言いつけた。――十分もたつと、もうクリストフのことは忘れてしまった。
 クリストフは汚《きたな》い巣へもどった。心動かされていた。
「親切な男だ!」と彼は思っていた。「俺は彼にたいして悪いことをしたことがある。だが彼は俺を恨んでもいない!」
 そういう悔恨の念が重く心にかかった。昔悪く思ったことが今いかに心苦しいか、昔ひどく当たったことを許してもらいたいと今どんなに思ってるか、コーンへ書き送ろうとした。昔のことを思うと眼に涙が湧《わ》いてきた。しかし彼にとっては、一通の手紙を書くのは、大譜表を書くに劣らないほどの大仕事だった。そして、宿屋のインキやペンを、それは実際ひどいものではあったが、盛んにののしり散らした後、四、五枚の紙を書きなぐり消したくり引き裂いた後、もう我慢ができなくなってすべてを放
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