なかった。クリストフが訪れて来ようなどとは、最も思いがけないことだった。彼はきわめて炯眼《けいがん》だったので、クリストフの訪問には一つの利害関係の目的があることを予見してはいたが、それは自分の力にささげられた敬意だという一事だけで、すでに喜んで迎えてやる気になったのである。
「国から来たのかい。お母《かあ》さんはどうだい。」と彼は馴《な》れ馴れしく尋ねた。他の時だったらそれはクリストフの気にさわったかもしれないが、しかし他国の都にいる今では、かえってうれしい感じを与えた。
「だがいったいどうしたんだろう、」とクリストフはまだ多少疑念をいだいて尋ねた、「先刻コーンさんという人はいないという返辞だったが。」
「コーンさんはいないよ。」とシルヴァン・コーンは笑いながら言った。「僕はコーンとはいわないんだ。ハミルトンというんだ。」
彼は言葉を切った。
「ちょっと失敬。」と彼は言った。
彼は通りかかった一人の婦人の方へ行って、握手をして、笑顔《えがお》を見せた。それからまたもどって来た。そして、あれは激しい肉感的な小説で有名になった閨秀《けいしゅう》作家だと説明した。その近代のサフォーは、胸に紫色の飾りをつけ、種々の模様をちらし、真白に塗りたてた快活な顔の上に、艶《つや》のいい金髪を束ねていた。フランシュ・コンテの訛《なま》りがある男らしい声で、気障《きざ》なことを言いたてていた。
コーンはまたクリストフに種々尋ねだした。国の人たちのことを残らず尋ね、だれだれはどうなったかと聞き、すべての人を記憶してることを追従《ついしょう》的に示していた。クリストフはもう反感を忘れてしまっていた。感謝を交えた懇切な態度で答え、コーンにとってはまったく無関係な些細《ささい》な事柄をやたらに述べた。コーンはそれをふたたびさえぎった。
「ちょっと失敬。」と彼はまた言った。
そして他の婦人客へ挨拶《あいさつ》に行った。
「ああそれじゃあ、」とクリストフは尋ねた、「フランスには婦人の作家ばかりなのか。」
コーンは笑い出した。そしてしたり顔に言った。
「フランスは女だよ、君。君がもし成功したけりゃ、女を利用するんだね。」
クリストフはその説明に耳を貸さないで、自分だけの話をつづけた。コーンはそれをやめさせるために尋ねた。
「だが、いったいどうして君はこちらへ来たんだい。」
「なるほど、」
前へ
次へ
全194ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング