なぜだかみずからいぶかった。やがて彼は、シルヴァン・コーンの雇われてる書店の名であることを思い出した。彼は所番地を書き取った。……しかしそれが何になろう? もとより尋ねてなんか行くものか……。なぜって?……友人だったあのディーネルの奴《やつ》でさえ、ああいう待遇をしたところを見ると、昔さんざんいじめられて憎んでるに違いない此奴《こいつ》から、何が期待されよう? 無駄《むだ》に屈辱を受けるばかりではないか。彼の血潮は反発していた。――しかしながら、おそらくキリスト教教育から来たらしい、先天的悲観主義の気質のために、彼は人間の賤《いや》しさをどん底まで感じてみようとした。「俺《おれ》は遠慮する必要はない。くたばるまではなんでもやってみなけりゃいけない。」
一つの声が彼のうちで言い添えた。
「そして、くたばるものか。」
彼はふたたび所番地を確かめた。そしてコーンのところへやって行った。少しでも横柄《おうへい》な態度に出たら、すぐにその顔を張りつけてやる決心だった。
書店はマドレーヌ町にあった。クリストフは二階の客間に上がって、シルヴァン・コーンを尋ねた。給仕が、「知らない」と答えた。クリストフはびっくりして発音が悪かったのだと思い、問いをくり返した。しかし給仕は、注意深く耳を傾けた後、家にそんな名前の者はいないと断言した。クリストフは面くらって、詫《わ》びを言い、出かけようとした。その時廊下の奥の扉《とびら》が開《あ》いた。見ると、コーンが一人の婦人を送り出していた。ちょうど彼はディーネルから侮蔑《ぶべつ》を受けたばかりのところだったので、皆が自分を馬鹿にしているのだと思いがちだった。それで、コーンは自分が来るのを見て、いないと言えと給仕に言いつけたのだと、彼は真先《まっさき》に考えた。そんな浅はかなやり方に、堪えられなかった。そして憤然と帰りかけた。すると呼ばれてる声が耳にはいった。コーンは鋭い眼つきで、遠くから彼を認めたのだった。そして唇《くちびる》に笑いをたたえ、両手を広げ、大袈裟《おおげさ》な喜びをありったけ示して、駆け寄ってきた。
シルヴァン・コーンは、背の低い太った男で、アメリカ風にすっかり髭《ひげ》を剃《そ》り、赤すぎる顔色、黒すぎる髪、広い厚ぼったい顔つき、脂《あぶら》ぎった顔だち、皺《しわ》寄った穿鑿《せんさく》的な小さい眼、少しゆがんだ口、重々
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