ァン・コーンはその奇警な逆説を人に言い伝え誇張していたのだった。)――クリストフは人々の興味をひくだけで、少しもその邪魔にはならなかった。彼はだれの地位をも奪いはしなかった。一派の大立物となることも、彼一人の思いのままだった。何にも書かないでもよいし、もしくはできるだけわずかしか書かないでもよいし、ことに自分の作を少しも人に聞かせなくても済むし、グージャールみたいな連中に思想を供給してやるだけで十分だった。この連中は有名な言葉を格言としていた――ただ少しそれを修正して。

 私の杯《さかずき》は大きくはないが、しかし私は……他人の杯[#「他人の杯」に傍点]で飲む。

 強い性格は、行動するよりもむしろ感ずることの方が多い青年らにたいして、ことにその光輝を働かせるものである。クリストフの周囲には青年が乏しくはなかった。一般にそれらの青年は、閑《ひま》な連中で、意志もなく、目的もなく、存在の理由をも有せず、勉強の机を恐れ、自分一人になるのを恐れ、肱掛椅子《ひじかけいす》にいつまでもすわり込み、自分の家に帰って自分自身と差し向かいになることを避けるためには、あらゆる口実を設けながら、珈琲店や芝居をうろつき回っていた。彼らは無味乾燥な談話に加わりに来、そこに腰を落ち着け、幾時間もぐずついていた。ようやく立ち上がる時には、胃袋が妙にふくれきり、胸糞《むなくそ》の悪い気持になり、飽き飽きしながら物足りなくて、もっとつづけたくもあればまたつづけるのが厭《いや》でもあるのだった。そういう青年らがクリストフを取り巻いていた。あたかも、生命にすがりつくために一つの魂へ取りつこうとうかがってる「待ち伏せの怨霊《おんりょう》」、ゲーテのいわゆる尨犬《むくいぬ》、のようであった。
 虚栄心の強い馬鹿者なら、そういう寄生虫の取り巻き連中を喜んだかもしれない。しかしクリストフは偶像の真似《まね》をしたくなかった。そのうえ、彼がなしてることのうちに、ルナン式の、ニーチェ式の、ローズ・クロア的な、雌雄両性的の、へんてこな意向があると思ってるそれら賛美者らの、馬鹿《ばか》げきった生意気さに彼はぞっとした。彼は皆を追っ払ってしまった。彼は受動的な役目を演ずべき人間ではなかった。彼のうちではすべてが行動を目的としていた。彼は理解せんがために観察していた。そして行動せんがために理解したがっていた。偏見の拘束
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