てる者らもあった。この新しい教会の長老の一人、他の教会のフランス人らと戦っていた一人の将軍は、ヴェルキンゲトリックスを称揚して反僧侶的な演説を試みた。自由思想派が銅像をささげたこのガリアの首領が、平民の子であったことを祝し、ローマに(ローマ教会に)対抗したフランスの第一人者だったことを祝した。ある海軍大臣は、艦隊を浄化しカトリック派を憤慨させるため、戦闘艦にエルネスト[#「エルネスト」に傍点]・ルナン[#「ルナン」に傍点]という名をつけた。また他の自由精神の人々は、芸術を純化せんとつとめていた。彼らは十七世紀の古典文学を抹殺《まっさつ》し、また神の名でラ・フォンテーヌの物語を汚すことを許さなかった。昔の音楽についても同じくそれを許さなかった。クリストフが実際聞いたところによると、ある過激派の老人――(年を取って過激なのは馬鹿の骨頂だ[#「年を取って過激なのは馬鹿の骨頂だ」に傍点]、とゲーテは言った)――は、ベートーヴェンの宗教的な歌曲[#「歌曲」に傍点]が通俗音楽会のうちに加えられてることを、ひどく憤慨していた。彼はその歌詞を変えよと要求していた。
なおいっそう過激な他の人々は、あらゆる宗教的音楽とそれを教える学校とを、そっくり廃止してしまうことを望んでいた。このベネチアでアテネ人だと見なされてるある美術学校の校長は、やはり音楽家らに音楽を教える必要があることを、つとめて説明したけれど甲斐《かい》がなかった。彼は説いた。「兵営に送られた一兵卒は、銃の操法や射撃法を徐々に教えられる。年若い作曲家についても同様である。頭には無数の観念が湧《わ》いているが、その分類はまだ行なわれてはいない。」そして彼は、自分の勇気にみずから恐れて、一句ごとにくり返した。「私は老いたる自由思想家である……私は老いたる共和主義者である……。」それから彼は大胆に次のことを宣言した。「ペルゴレージの作が歌劇であるかミサ曲であるかを知るのは、重要なことではない。それが人間的な芸術の作品であるかどうかを知るのが、肝腎《かんじん》である。」――しかし相手の一徹な論理は、この「老自由思想家」へ、「老共和主義者」へ、答え返した。「二種の音楽があるのだ、すなわち教会堂で歌われる音楽と、他の場所で歌われる音楽と。」第一のものは理性と国家との敵であった。そして国家的理性はそれを廃止すべきであった。
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