な微笑を見せて彼の腕を取った。彼は真赤《まっか》に憤って、彼女を振り離して遠ざかった。酒亭《しゅてい》がつづいていた。その入口には、奇怪な道化《どうけ》の広告が並んでいた。群集はますます立て込んできた。不徳そうな顔つき、いかがわしい漫歩者、卑しい賤民《せんみん》、白粉《おしろい》をぬりたてた嫌《いや》な匂いの女、などがあまり多いのにクリストフは驚いた。彼はぞっとした。疲労や無気力や恐ろしい嫌悪《けんお》に、ますますしめつけられて、眩暈《めまい》がしてきた。彼は歯をくいしばって足を早めた。セーヌ河に近づくに従って、霧はさらに濃くなってきた。馬車は抜け出せないほど輻輳《ふくそう》してきた。一頭の馬が滑って横に倒れた。御者はそれを立たせようとやたらに鞭《むち》打った。不幸な動物は、革紐《かわひも》にしめつけられて振るいたったが、痛ましくもまた下に倒れて、死んだようにじっと横たわった。このありふれた光景もクリストフにとっては、もうたまらなくなる最後の打撃だった。無関心な衆目環視の中におけるこの惨《みじ》めな動物の痙攣《けいれん》は、それら無数の人々の間にある自分自身のむなしさを、非常な苦しさで彼に感じさせたので、――また、家畜の群れのごときその群集にたいして、その汚れたる雰囲気《ふんいき》にたいして、その悪《にく》むべき精神状態にたいして、彼が一時間以来押えようとつとめていた嫌悪の情が、非常な激しさで破裂してきたので、彼は息がつけなくなった。彼は歔欷《きょき》の発作に襲われた。通行人らは、悲しみに顔をひきつらしてるこの大きな青年を、驚いてながめていった。彼は涙が頬《ほお》に流れても、拭《ぬぐ》おうともせずに歩きつづけた。人々はちょっと立ち止まって彼を見送った。彼がもし、敵意あるように思われるその群集の魂の中を、読み取ることができるのであったら、一つの親しい同情の念を――パリー人特有の皮肉が多少交ってはいたろうけれど――ある人々のうちにおそらく見出し得たであろう。しかし彼はもう何にも見ていなかった。涙のために眼がくらんでいた。
 彼はある広場の大きな泉のそばに出た。彼はその中に手をつけ顔を浸した。一人の新聞売りの小僧が嘲弄《ちょうろう》的ではあるが悪意はない気持で、彼の仕業《しわざ》を不思議そうにながめていた。そしてクリストフが落としてる帽子を拾ってくれた。水の凍るような冷た
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