口実を作り出す機会をのがさなかった。二人の老人は非常に健啖《けんたん》だった。クンツは食卓につくと別人の感があった。太陽のように輝き出すのだった。料理屋の看板にもなり得るほどだった。シュルツもまたそれに劣らず御馳走《ごちそう》には敏感だった。しかし不健康のためにいくらか控え目にしなければならなかった。実を言えば、しばしばそれを忘れることがあった。そしてはひどい報いを受けた。そういう時彼は愚痴をこぼさなかった。病気であるとしても、少なくともその原因を知っていたのである。ところで彼には、クンツと同じく、親から子へ代々伝えきたった料理法があった。ザロメがいつも通人らのために腕をふるった。しかるにこんどは、彼女はただ一つの献立表の中に、自分の得意な料理をすべてぶち込んでしまおうと工夫した。それは、少しも悪化していない真正なあの忘るべからざるライン料理法を、すっかり並べたてたようなものだった。あらゆる草の香《かお》り、濃いソース、実質に富んだポタージュ、模範的なスープ肉、すばらしい鯉《こい》、漬《つ》け菜、鵞鳥《がちょう》、手製の菓子、茴香《ういきょう》とキメンとのはいってるパン、などがあった。クリストフは非常に喜んで、口いっぱい頬張《ほおば》りながら、餓鬼のように食べた。鵞鳥一匹をも食いつくすほどの父や祖父から、たいへんな能力を受け継いでいた。それにまた彼は、パンとチーズとで一週間も暮らすことができるとともに、機会がくれは腹の裂けるほど食べることもできるのであった。シュルツは懇切なまた儀式ばった様子をして、彼をやさしい眼つきで見守り、ライン産の葡萄酒《ぶどうしゅ》を盛んについでやった。クンツは赤い顔色になりながら、彼をいい食い友だちだと思っていた。ザロメの広い顔は、満足げに笑《え》みを浮かべていた。――最初彼女は、クリストフがやって来たのを見た時、当てが違ったような気がした。シュルツが前もってあまり吹聴《ふいちょう》していたものだから、彼女は彼のことを、閣下ともいうべき顔つきをしりっぱな肩書をになった人だろうと、想像していた。そして彼を見ると、驚きの声を発せずにはいられなかった。
「こんな人か。」
 しかし食卓で、クリストフは彼女の贔屓《ひいき》心を得ることができた。彼女はかつて、自分の腕前をそんなに称美してくれる人に会ったことがなかった。彼女は料理場へもどってもゆかないで、敷居のところに立ち止まって、クリストフをながめていた。クリストフは口を休めずに食べながら、盛んな冗談ばかり言っていた。彼女は腰に手をついて、大笑いをしていた。皆愉快だった。彼らの幸福のうちには、ただ一つの黒点しかなかった。ポットペチミットがいないことだった。彼らはしばしばそのことをくり返し言った。
「ああ、彼がいたら! 食べるのは彼に限る。飲むのは彼に限る。歌うのは彼に限る。」
 彼等は賛辞をやめなかった。
「クリストフに彼の歌を聞かせることができたら!……いやたぶんできるだろう。ポットペチミットは夕方帰ってくるかもしれない、遅《おそ》くとも今夜は……。」
「え、今夜僕はもう遠くに行ってますよ。」とクリストフは言った。
 シュルツの輝いていた顔は曇った。
「なに、遠くに!」と彼は震える声で言った。「いや、発《た》ってはいけません。」
「発つんです。」とクリストフは快活に言った。「夕方また汽車に乗るんです。」
 シュルツは落胆した。クリストフを幾晩も泊めるつもりだった。彼は口ごもった。
「いや、いや、そんなことはない!……」
 クンツはくり返した。
「そしてポットペチミットが!」
 クリストフは二人をながめた。彼らの善良な懇切な顔に浮かんでる失望の色に、彼は心を動かされた。彼は言った。
「あなた方はほんとにいい人たちだ。……明日の朝|発《た》つことにしましょう。それでどうです?」
 シュルツは彼の手を取った。
「ああ、よかった!」と彼は言った。「ありがとう、ありがとう!」
 彼は子供のようになっていて、明日はいかにも遠く思われ、考えも及ばないほど遠く思われた。クリストフは今日発ちはしないし、今日じゅうは自分たちのものであり、一晩じゅういっしょにすごし、同じ屋根の下に眠るのだ。それだけのことをシュルツは思っていた。それから先はもうながめたくなかった。
 ふたたび快活になった。シュルツば突然立ち上がり、おこそかな様子をした。この小さな町と自分のささやかな家とを訪れてきてくれて、無上の喜びと名誉とを得さしてくれた賓客にたいし、感動した仰山《ぎょうさん》な祝杯を挙げた。喜ばしい彼の再来、彼の成功、彼の光栄、地上のあらゆる幸福、などを心から希望して、杯を干した。それから、「高尚なる音楽」のためにまた杯を挙げ――さらに、老友のクンツのために――さらに、春のために――そしてまたポ
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