た。しかしもう遅《おそ》かった。到着しかけていた。汽車は止まった。五分間。それが永遠のように思われた。クリストフは部屋の奥に飛びのき、窓掛の後ろに隠れて、不安にプラットホームを眺めた。そこには一人の憲兵がじっと立っていた。駅長が一通の電報を手にして、駅長室から出て来、あわただしく憲兵の方へ進んでいった。クリストフは自分に関することだと疑わなかった。彼は武器を捜した。二枚刃の丈夫なナイフよりほかに何もなかった。彼はポケットの中でそれを開いた。胸に角燈をかざした一人の駅員が、駅長とすれ違って、列車に沿って駆けてきた。クリストフはその駅員がやって来るのを見た。彼はポケットの中でナイフの柄を握りしめて、考えた。
「もう駄目《だめ》だ!」
 彼は極度に興奮していたから、もしその駅員がおり悪《あ》しくも、彼の方へやって来て彼の車室へはいろうとしたら、その胸にナイフを刺し通したかもしれなかった。しかし駅員は隣りの車室に立ち止まって、今乗った一乗客の切符を調べた。列車はまた進行しだした。クリストフは胸の動悸《どうき》を押し静めた。身動きもしなかった。助かったともまだ思いかねていた。国境を越えないうちはそう思いたくなかった。……夜が明け始めた。木立の姿が闇《やみ》から出てきた。一つの馬車が、鈴音をたて燈火をちらつかせながら、幽霊のように街道を通っていった……。クリストフは車窓に顔をくっつけて、版図の境界を示す帝国章のついた標柱を見ようとつとめた。汽車がベルギーの最初の駅へ到着する汽笛を鳴らした時、彼はまだその標柱を夜明けの光の中に捜していた。
 彼は立ち上がった。扉《とびら》をすっかり開《あ》け放した。冷たい空気を吸い込んだ。自由! 前途に横たわってる全|生涯《しょうがい》! 生きる喜び!……――そして間もなく、残してきたものにたいする悲しみが、これから見出そうとするものにたいする悲しみが、一時に彼の上へ襲いかかった。一夜じゅうの激情の疲れが彼を圧倒した。彼はがっくりと腰掛に身を落した。停車場へ着くまでにはわずか一分あるかなしかだった。その一分間後に、一人の駅員が車室の扉を開くと、クリストフの寝姿を見出した。クリストフは腕を揺られて眼を覚《さ》まし、一時間も眠ったような気がして変だった。重々しく汽車から降りて、税関へやって行った。そして、もうすっかり他国の領土へはいってしまい、もはや
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