《おうへい》な傲慢《ごうまん》さで、芸術にまで関与していた皇帝は、ハスレルの名声を世間の醜怪事と見なして、機会あるごとにはかならず、彼の厚顔な作品にたいして軽侮的な冷淡さを示していた。かかる公辺の反対は、ドイツ芸術の尖端派にとってはほとんど一つの世間的確認となるものだったが、ハスレルはそれを憤りまた愉快がって、ますます乱暴なやり方をつづけていた。新たに悪戯《いたずら》をすることに、味方の者らは歓喜して天才だと呼号していた。
 ハスレルの徒党は、廃頽派《はいたいは》の文学者や画家や批評家からおもに成り立っていた。彼らはたしかに、敬虔《けいけん》主義的精神と国家的道徳心との復興――北ドイツにおいては常に威嚇《いかく》的なものとなる復興――にたいする反抗派を代表するに足るのであった。しかし彼らの独立心は、闘争においては知らず知らずのうちに、滑稽《こっけい》なものとなるほど激昂《げっこう》していた。なぜなら、彼らの多くはかなり辛辣《しんらつ》な才能に欠けてはいなかったとしても、知力を有すること少なく、趣味を有することはさらに少なかったからである。彼らはみずからこしらえ出した人為的な雰囲気《ふんいき》から、もはや脱することができなかった。そしてあらゆる流派に見らるるとおり、ついに実人生の知覚をまったく失ってしまっていた。彼らの評論を読み、彼らが好んで宣言するものを鵜呑《うの》みにする、多くの愚人らにたいして、また自分自身にたいして、彼らは法則をたれていた。彼らの阿諛《あゆ》はハスレルに有害であって、彼をあまりに自惚《うぬぼれ》さしていた。彼は頭に浮かぶ楽想を、少しも検《しら》べないでことごとく取り上げた。そして自分の真価より劣ったものを書くことはあるかもしれないが、それでも他の音楽家のものより常に優《まさ》っていると、ひそかに信じていた。ところがこの考えは、不幸にも多くの場合あまりに真実だったけれど、そのために、きわめて健全な考えであって偉大な作品を生み出すに適したものである、ということにはならなかった。ハスレルは心の底に、敵味方を問わず万人にたいして、全然の蔑視《べっし》をいだいていた。そしてこの苦々《にがにが》しい嘲弄《ちょうろう》的な蔑視は、彼自身と全人生とにまで広がっていた。彼は高潔な無邪気な多くのことを昔信じていただけに、ますます深くその皮肉な懐疑主義の中に沈んでい
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