稽《こっけい》なことを、彼は毎日見ていたので、詩にたいする自分の無能を(心の底では多少信じかねながらも)あきらめていた。そして、この方面では自分より教養があると思われる人々の意見を、眼をつぶって傾聴していた。それだから彼は、雑誌の友人らが説くところに従って、一人の協力者を承諾した。それはシュテファン・フォン・ヘルムートという廃頽《はいたい》派の大詩人であって、彼のもとへ自作のイフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]をもって来た。当時はちょうど、ドイツの詩人らが――(フランスの詩人らと同じく)――ギリシャのあらゆる悲劇を改作してる最中だった。シュテファン・フォン・ヘルムートの作品も、イプセンやホメロスやオスカー・ワイルドなどが――もちろん二、三の考古学的小著をも取り入れて――たがいに混合してるという、あの奇体なギリシャ・ドイツ折衷式脚本の一つであった。アガメムノンは神経衰弱者であり、アキレスは無気力者だった。彼らは長々と身の上を嘆いていた。そしてもとより、彼らの苦情はなんの役にもたたないものだった。劇の力はすべてイフィゲニアの役に集中されていた。――神経質でヒステリーで衒学《げんがく》的なイフィゲニアであって、英雄らに訓戒をしたり、猛烈な勢いでしゃべりたてたり、ニーチェ流の悲観思想を公衆にぶちまけたりしたあげく、死に酔いながら、哄笑《こうしょう》しつつ自殺するのであった。
このギリシャ式の服をまとってる廃頽《はいたい》した東ゴートの気障《きざ》な文学ぐらい、クリストフの精神に相反するものはなかった。しかし彼の周囲の者は傑作だと称賛していた。彼は卑怯《ひきょう》だった。皆の意見に説き伏せられた。しかし実を言えば、彼は音楽で頭がいっぱいになっていて、原文のことよりも音楽のことを多く考えていた。原文は彼にとって、自分の熱情の波をみなぎらすべき川床だった。詩の作品を音楽に翻訳せんとする者が当然もつべき自制と知的無私との状態から、彼はこの上もなく遠ざかっていた。彼は自分のことだけを考えて、作品のことはまったく考えなかった。作品に順応しようともしなかった。そのうえ彼は幻をいだいていた。詩を読んでも、その中にあることとはまったく別なことを思っていた。ちょうど少年時代と同じように、眼前の作品とはまったく異なった作品を頭の中にこしらえ上げてしまった。
彼が現実の作品に気づいたのは、
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