その奥で眠っても踊っても構わない。女を連れてゆくさ。幾人かあるだろう。入用なら貸してやってもいいよ。」
 クリストフは切符をマンハイムに差し出した。
「いや、どうしてもいやだ。取ってくれ。」
「取るもんか。」とマンハイムは数歩|退《さが》りながら言った。「厭なら無理に行ってくれとは言わない。だがもうそれは受け取らないよ。火にくべようと、または律義《りちぎ》者の真似《まね》をしてグリューネバウムの家へ届けようと、それは君の勝手だ。もう僕に関係したことじゃない。さよなら。」
 彼は手に切符をもってるクリストフを往来のまん中に置きざりにして、逃げて行ってしまった。
 クリストフは困った。グリューネバウムの家へ切符をもってゆくのが至当であると、はっきり思ってもみた。しかしその考えにはあまり気乗りがしなかった。心を定めかねて家へ帰った。気がついて時計をながめてみると、もう芝居へ行くために着替えるだけの時間しかなかった。いずれにしても切符を無駄《むだ》にするのはあまり馬鹿げていた。母へいっしょに行こうと勧めてみた。しかしルイザは、これから寝る方がいいと言った。彼は出かけた。心の底には子供らしい楽しみがあった。ただ一つ不満なのは、その楽しみを一人きりで味わうことだった。桟敷を取り上げてやったグリューネバウム一家や、マンハイムの父にたいしては、なんらの苛責《かしゃく》をも感じなかったけれど、自分と桟敷を共にし得るかもしれない人々にたいして、一種の苛責を感じた。自分のような若い者にとっては、それがどんなに喜ばしいことであるかを考えると、その喜びを分かたないのがつらかった。頭の中であれこれと物色してみたが、切符をやるような相手が見つからなかった。そのうえもう遅《おそ》くなっていて、急がなければならなかった。
 劇場へはいる時に、彼は閉《し》め切られてる札売場のそばを通った。座席係りの方にはもう一席も残っていないことが、掲示に示してあった。残念そうに帰ってゆく人々のうちに、彼は一人の若い女を認めた。彼女はまだ思い切って出て行くことができないで、はいって行く人々をうらやましそうにながめていた。ごく簡素な黒服をまとい、さほど背が高くもなく、細そりした顔立ちで、しとやかな様子だった。きれいであるか醜いかは気づく隙《ひま》がなかった。彼は彼女の前を通り越した。がちょっと立ち止まり、ふり向いて、考
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