なかった。なぜなら、自分の滑稽《こっけい》なことがわかっていたから。
 しかしながら、この方面ではなんともしかたがなかったとは言え、彼女はクリストフのうちに、いっそうたやすく急所を刺し得る他の弱点を見出していた。それは彼の道徳的信念であった。クリストフはフォーゲル一家との喧嘩《けんか》にもかかわらず、青春期の熱狂にもかかわらず、本能的な貞節さを、純潔の要求を、まだ心にもっていた。彼はそれを意識してはいなかったが、しかしそれがアーダのような女を、最初は驚かしひきつけ魅惑し、次には面白がらせ、次には苛立《いらだ》たせ、次には憎悪の念をいだくまでに激させるのだった。彼女はその点を正面から攻撃しはしなかった。彼女は奸佞《かんねい》な尋ね方をした。
「あんたは私を愛してくださるの?」
「愛するとも!」
「どれくらい愛してくださるの?」
「できるかぎり。」
「それじゃ充分でないわよ………そうよ………私にはどんなことをしてくだすって?」
「なんでも望みどおりに。」
「悪いことでもしてくだすって?」
「おかしな愛し方だね。」
「それとは別問題よ。してくだすって?」
「そんな必要はありゃしない。」
「で
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