さしい音楽……ああなんと快いことか……これだ、これだ……。他は皆真実のものではなかった……。
彼は腕を揺すられた。一つの声が叫んでいた。
「まあどうしたの? まったく狂人だわ。どうして私をそんなに見てるの? なぜ返辞をしないのよ?」
彼は自分をながめてる眼をまた見出した。だれなのか!……ああそうだ……。――彼はほっと息をした。
彼女は彼を観察していた。彼が何を考えてるか知ろうとつとめていた。彼女には理解ができなかった。しかしいくらどんなことをしても駄目《だめ》だと感じた。彼をすっかり手にとらえることができなかった。いつでも彼が逃げ出せる門があった。彼女はひそかに苛立《いらだ》っていた。
「なぜ泣くの?」と彼女は一度、彼が他の世界へのそういう旅からもどってくる時に尋ねた。
彼は眼に手をやった。眼がぬれてることを知った。
「僕にはわからない。」と彼は言った。
「なぜ返辞をしないの? もう三度も同じことを言ったのよ。」
「いったいどういうんだい?」と彼はやさしく尋ねた。
彼女はまた愚にもつかない議論をもち出した。
彼は飽《あ》き飽きしてる身振りをした。
「ええ、よすわ。」と彼女は言った。「ただ一言《ひとこと》だけ!」
そしてますます盛んにやり出した。
クリストフは怒って身体を揺すった。
「そんなにけがらわしい話はよしてくれ!」
「冗談を言ってるのよ。」
「もっとりっぱな話の種を捜しておいでよ。」
「じゃあせめて理由を言ってごらんなさい。なぜそれが気に入らないか言ってごらんなさい。」
「理由があるもんか。なぜ肥料《こやし》が臭いかには、議論の余地はない。肥料は臭い、ただそれっきりだ。僕は鼻をつまんで逃げ出すばかりさ。」
彼は憤然として立去った。そして冷たい空気を呼吸しながら、大胯《おおまた》に歩き回った。
しかし彼女は、一遍も、二遍も、十遍も、同じことをやりだした。彼の本心をいやがらせ傷つけるようなものなら、なんでも議論のうちに取り入れた。
それはまったく、人をからかって面白がる神経衰弱症の娘の、不健全な戯れにすぎないものだと、彼は思っていた。彼は肩をそびやかし、あるいは聞かないふうをした。彼女の言葉を真面目《まじめ》にはとらなかった。でもやはり、彼女を投げ捨ててしまいたいような気になることもあった。なぜなら、神経衰弱症と神経衰弱患者とは、最も彼の趣味
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