と沈黙とを欠いた生活、生存を萎微《いび》させるようなものはなんでも取上げる浅薄な悲観思想、他人を理解するよりも軽蔑《けいべつ》する方を易《やす》しとする傲慢《ごうまん》な非理知、すべてそれらの、偉大さも幸福も美もない凡俗な道徳、それは実に醜悪な有害なものである。それは実に、美徳よりも悪徳の方に、いっそう人間的な観を与えさせるものである。
そういうふうにクリストフは考えていた。そして自分を傷つけた者を傷つけ返してやりたいという欲求に駆られて、自分も相手の人たちと同様に間違ってるということには気づかなかった。
もちろんこの憐《あわ》れな人たちは、ほとんど彼の観察どおりであった。しかしそれは彼らの罪ではなかった。彼らの顔つきや態度や思想を不愛想ならしめてしまった、不愛想な生活の罪であった。彼らは悲惨から――一挙に落ちかかって人を殺すかあるいは鍛えるかする大悲惨からではなく――たえずくり返される不運、最初の日から最後の日に至るまで一滴ずつ落ちてくる小さな悲惨から、変化されてしまっていた……。なんと悲しむべきことであるか! なぜなら、それらの粗硬な表皮の下には、方正や善良や無言の勇気など、いかに多くの宝がたくわえられていたことだろう!……一民衆の力が、未来の活気が!
クリストフが義務は特殊なものだと信じたのは、誤りではなかった。しかし恋愛もやはり特殊なものである。すべてが特殊である。何かに価するすべてのものは皆――悪でさえもやはり(悪にも価値がある)――常習ということより以上の敵を有しない。魂の致命的な敵は、毎日の消耗である。
アーダは倦怠《けんたい》し始めていた。クリストフの性質のように豊富な性質の中で、自分の愛を更新してゆくには、彼女は充分の知力をそなえていなかった。彼女の官能と浮華的な精神とは、およそ見出し得るかぎりの快楽を愛から引出してしまっていた。もはや愛を破壊する快楽しか残ってはいなかった。彼女は一種のひそかな本能をもっていた。それは多くの女に、善良な女にも、また多くの男に、怜悧《れいり》な男にも、共通な本能であって、この本能をそなえた男女は、仕事もせず、子供もこしらえず、活動もせず――いかなることをも、生活をもせず――しかも、あまりに多くの活力をもっているので、おのれの無用さを堪え忍ぶこともできないのである。彼らは他人も自分らと同じく無用ならんことを望
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