か、彼にはわからなかった。少し高い呼び声をきくと、じっとしてることができなかった。彼は寝台から飛び出した。暗夜の中を手探りで、扉に近寄った。彼はそれを開きたくなかった。その扉がしまってるので安心を覚えていた。そしてふたたびそのハンドルに触れると、扉の開くのが眼についた……。
彼ははっとした……。また静かに扉をしめ、また開き、も一度しめた。先刻扉は締まっていたではないか。そうだ、彼はそれを確かに知っていた。では誰が開いたのか。彼は胸がとどろいて息がつけなかった。寝台によりかかった。腰をおろして息をついた。彼は情熱に圧倒された。そして身動きができなくなった。身体じゅうが震えた。彼はその未知の歓喜を、数か月来呼び求めてはいたが、それが今自分のそばにそこにあって、もう何も間を隔てる物がない時になって、恐怖の念をいだいた。恋にとらわれてる激越なこの青年は、その欲求が実現されかかるとにわかに、恐怖と嫌悪《けんお》とを感ずるのみだった。彼はその欲望を恥じ、自分が将《まさ》にせんとしてることを恥じた。彼はあまりに愛していたので、愛するものをあえて享楽することができず、むしろそれを恐れた。悦《よろこ》びを避けるためには、何事でもなしたかも知れなかった。愛することは、ああ愛することは、愛するものを涜《けが》すことによってしか可能ではないのか?……
彼は扉のそばにまたやって来ていた。そして、愛欲と懸念とに震えながら、錠前に手をかけながら、開こうと決心することができなかった。
そして扉の向う側では、床石に素足をつけ、寒さに震えながら、ザビーネが立っていた。
かくて二人は躊躇《ちゅうちょ》した……幾何《いくばく》の間かを……幾分間かを、幾時間かを。……二人はたがいにそこにいることを知らなかった、しかもまた知っていた。二人はたがいに腕を差出していた――彼は激しい愛欲に押しつぶされてはいる勇気もなく――彼女は、彼を呼び、彼を待ち、彼がはいって来はすまいかとうち震えながら……。そしてついに彼がはいろうと意を決したのは、彼女が思い切って※[#「金+饌のつくり」、第4水準2−91−37]《かけがね》をしてしまった時であった。
すると彼は自分を狂人だとした。彼は全力をこめて扉にのしかかった。口を錠前に押しあてて願った。
「あけて!」
彼はごく低くザビーネを呼んだ。彼女は彼のあえぐ息を聞き得た
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