い時間も少しはなければならなかった……。
「退屈ではありませんか?」
「いいえ、少しも。」
「何にもなさらない時でも?」
「何にもしない時がいちばん退屈しませんわ。かえって何かする時の方が退屈しますわ。」
 二人は笑いながら顔を見合った。
「あなたはほんとに幸福ですね!」とクリストフは言った。「私は何にもしないということをまだ知りません。」
「よく御存じだと私は思っていますのに。」
「四、五日前からようやくわかりかけたんです。」
「では今によくおわかりになりますわ。」
 彼女と話をすると、彼は心が和《やわ》らぎ休らうのを感じた。ただ彼女と会うだけでも十分だった。不安だの、焦燥だの、心をしめつける苛《い》ら苛らした懊悩《おうのう》から、解放された。彼女と話してる時には、なんらの惑いもなかった。彼女のことを想《おも》ってる時には、なんらの惑いもなかった。彼はみずからそうだとは認めかねた。しかし彼女のそばにゆくとすぐに、快いしみじみとした安楽を覚え、ほとんどうつらうつらとしてきた。夜は、今までになくよく眠れた。

 仕事の帰りがけに、彼はよく店の中をちらりとのぞき込んだ。ザビーネを見かけないことはめったになかった。二人は微笑《ほほえ》みで会釈をした。時とすると、彼女は入口にいたので、数話をかわすこともあった。あるいはまた、彼は戸を少し開いて、娘を呼び、ボンボンの小箱をその手に握らしてやった。
 ある日、彼は思い切って中にはいった。チョッキのボタンがいると言った。彼女はそれを捜し始めた。しかし見つからなかった。あらゆるボタンがごっちゃになっていた、一々見分けることができないほど。彼女はその乱雑さを見られるのを少し当惑した。彼はそれを面白がって、なおよく見るために珍しそうにのぞき込んだ。
「厭ですよ!」と彼女は言いながら、両手で引き出しを隠そうとした。「のぞいちゃいけません。ごちゃごちゃですもの……。」
 彼女は捜し始めた。しかしクリストフは彼女をじらした。彼女は癇癪《かんしゃく》を起して、引き出しをしめてしまった。
「見つからないわ。」と彼女は言った。「次の街路《まち》のリージさんのところへいらっしゃいな。きっとありますわ。あすこならなんでもありますよ。」
 彼はその商売ぶりを笑った。
「あなたはそんなふうに、客をみんな向うへやってしまうんですか。」
「ええ、これが初めての
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