とを考えた。人を殺すことを考えた。少なくともそう考えてると想像した。燃え上がるような欲望を感じた。時として少年の心を噛みさいなむ愛憎の発作は、いかに激しいか想像以上である。それはクリストフの幼年時代の最も恐ろしい危機であった。この危機のために、彼の幼年時代は終りを告げた。彼の意志は鍛練された。しかしも少しで、彼の意志は永久に破壊されるところだった。
 彼はもう生きてることができなかった。いく時間も窓にもたれ、中庭の舗石を眺めながら、幼いころのように、生の苦しみをのがれる道が一つあることを、思い耽《ふけ》っていた。そこに、眼前に、直接に、慰謝があった。……直接に? それをだれが知ろう? おそらく、残虐な苦悶の数時間――数世紀――の後かもしれない。……しかし彼の幼い絶望はきわめて深いものだったので、彼はそういう考えの眩暈《めまい》のうちに滑《すべ》り込んでいった。
 ルイザは彼が苦しんでいるのを見た。彼女は彼のうちに何が起こったか正確に察することはできなかったけれども、本能的に危険を覚った。彼女は息子に近づいて、慰めてやるためにその苦しみの種を知ろうとした。しかしあわれな彼女は、クリストフと親しく話し合う習慣を失っていた。もう長年の間、彼は自分の考えを心に秘めていた。そして彼女は生活の物質的な心配に没頭しすぎていて、彼の心中を推察しようとつとめる暇《ひま》がなかった。で今彼を助けてやろうと思っても、どうしていいかわからなかった。思い悩んでただ彼の周囲を彷徨《さまよ》った。彼の慰めとなるような言葉を見出そうと願いながら、彼をいらだたせることを恐れて口もきけなかった。そんなに用心しながらも、彼女のあらゆる素振は、そばにいることさえも、彼のいらだちの種となった。なぜなら、彼女はあまり気がきいていなかったし、彼はあまり寛大でなかったから。それでも彼は彼女を愛していた、彼らはたがいに愛し合っていた。しかしながら、たがいに愛し慈《いつく》しんでる人々の間をも遠ざけるには、ごく些細《ささい》なことで足りる。激しすぎる口のきき方、へまな身ぶり、ただちょっとしかめる眼や鼻、一種の食べ方や歩き方や笑い方、いちいちそれと言えないくらいの肉体的不快事……。それはなんでもないことだと考えられている。けれども大したことである。ただそれだけのために往々、ごく親しくしてる母と子とが、兄と弟とが、友と友とが、たがいに永《なが》く他人となってしまうことがある。
 でクリストフは、自分が通っている危機にたいする一の支持を、母の愛情のうちに見出せなかった。そのうえ、他を顧る暇のない利己的な情熱にとっては、他人の情愛がどれだけの価値をもっていよう?
 ある夜、家の者は皆眠っていたが、彼は一人室の中にすわって、何にも考えもせず、身動きもせず、危険な考えの中に膠着《こうちゃく》していた。その時、ひっそりした小さな街路に足音が響いて、そして戸をたたく音に、彼ははっと我に返った。はっきりしないささやきの声が聞えた。彼はその晩父がもどっていなかったことを思い出し、往来のまんなかに寝てるところを見つけられた先週のように、やはり酔っ払った父が連れて来られたのだと、腹だたしく考えた。メルキオルはもう少しも行ないを慎《つつし》んでいなかったのである。彼はますます身をもちくずしていた。そして他の者なら死んでしまってるかもしれないほどの放埒《ほうらつ》と不摂生にも、彼の頑強《がんきょう》な健康は害されないらしかった。彼はやたらに大食し、ぶっ倒れるまでに暴飲し、冷たい雨に打たれながらいく晩も外で明かし、喧嘩《けんか》をしては殴《なぐ》り倒され、しかも翌日になると、いつもの調子になって陽気に騒ぎたて、周囲の者も皆自分と同じように快活になることを求めていた。
 ルイザはもう起き上がっていて、急いで戸を開きに行った。クリストフは身動きもせず、耳をふさいで、メルキオルの泥酔《でいすい》した声や、近所の人たちの嘲笑《ちょうしょう》的な言葉を聞くまいとした……。
 突然彼は、言いがたい懸念《けねん》にとらえられた。恐ろしいことになりそうだった。……とすぐに、悲痛な叫び声がした。彼は頭を上げた。戸口に飛んでいった……。
 一群の人々が、角燈の震える光に輝らされた薄暗い廊下で、ひそひそ話し合っていたが、そのまんなかに、水の滴《したた》ってる身体が、昔祖父の身体のように、じっと担架の上に横たわっていた。ルイザはその首にすがりついてすすり泣いていた。水車小屋の川にはまって溺《おぼ》れてるメルキオルが見出されたのだった。
 クリストフは声をたてた。他の世界はすべて消え失せ、他の心痛はすべて吹き払われてしまった。彼はルイザの横に、父の死体の上に身を投げた。そして二人はいっしょに泣いた。

 寝台のそばにすわり、今は厳格
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