だ径《みち》や、荒れた牧場のような芝生《しばふ》や、乱雑にこんがらかってる木立や、いつも雨戸が閉《し》め切ってある家の白い正面などが、見られた。年に一、二回、植木屋が見回りに来て、家に風を通した。しかしその後で庭はまた自然のままになって、すべてが静寂にとざされるのであった。
 その静寂にクリストフは心打たれた。彼はしばしばその眺め場所に人知れず上った。大きくなるにしたがって、眼が、次には鼻が、次には口が、壁の頂までとどくようになった。今では、爪先《つまきき》で伸び上がると、両腕を壁越しに差出すことができた。そういう姿勢は楽ではなかったが、彼は長くそのままの姿で、壁に頤《あご》をのせ、じっと眺めまた聴《き》いていた。夕《ゆうべ》の光は芝生《しばふ》の上に穏かな金色の波を注ぎかけ、その波は樅《もみ》の木立の影では、青みがかった反映に輝いていた。彼は街路をやって来る人の足音が聞えるまで、われを忘れてそこにぼんやりしていた。夜分には、庭のまわりに種々な香《かお》りが漂っていた、春はリラの香り、夏はアカシアの香り、秋には枯葉の香りが。クリストフは晩に宮邸から帰ってくる時、どんなに疲れていても、かならずその門のそばに立ち止まって、その快い空気を吸った。そして息臭い自分の室にもどるのが厭になった。彼はまた幾度も、ケリッヒ家の表門の前の、舗石に草のはえてる小さな広場で、遊んだ――遊ぶ時には――ことがあった。門の左右には、マロニエの老樹が一本ずつ立っていた。祖父もその根本にやって来て、パイプを吹かしながらすわった。そして子供たちには、木の実が弾丸や玩具《おもちゃ》となった。
 ある朝、彼はその路次を通りかかって、いつものとおり標石によじ上った。ぼんやり眺めた。そしてまた降りようとした時、何か事変わった感じを受けた。彼は家の方へ眼を向けた。窓は皆開かれていた。日の光が家の中までさし込んでいた。人の姿は見えなかったが、その古い住宅は十五年間の眠りから覚《さ》めて微笑《ほほえ》んでるように思われた。クリストフは変な気持になりながら家に帰った。
 食事の時に父は、近所の噂《うわさ》の種となってることを話した。驚くほどたくさんの荷物をもって、ケリッヒ夫人と娘とがやって来た、ということだった。あのマロニエのあたりは、馬車の荷降ろしを見に来た好奇者《ものずき》でいっぱいだったそうである。クリストフの限られた狭い生活のうちにあっては、その話は重大な出来事だったので、彼はそれがたいへん気にかかった。そして仕事に出かけながらも、父の例のおおげさな話に従って、その不思議な家の主人公たちを想像してみようとした。それから仕事に心を奪われて、すっかり忘れてしまった。けれどもその夕方、家にもどる間ぎわに、すべてのことがまた頭に浮かんだ。すると好奇心に駆られて、例の眺め場所に上り、壁の中がどういうふうになってるか覗《のぞ》いてみた。ところが眼にはいるものはただ、静かな庭|径《みち》ばかりで、そこにはじっと動かない木立が、太陽の名残の光のうちに眠ってるがようだった。しばらくすると彼は、好奇心の的をすっかり忘れてしまって、しみじみとした静けさのうちに浸っていった。その妙な位置は――標石の頂上に不安定に身を保って立つのであるが――彼の夢想には上乗の場所であった。空気のよく通わない薄暗いきたない路次から出ると、その日向《ひなた》の庭は夢幻的な輝きを帯びてるようだった。彼の精神はそのなごやかな場所のうちに漂っていった。種々の音楽が歌っていた。彼はその音楽のうちにうとうととした……。
 かくて彼は、眼も口も開きながら夢想していた。そしてどれくらいの間夢想してたかみずから知らなかった。なぜなら、何にも眼にはいらなかったから。と突然、彼は駭然《がいぜん》とした。前方に、径《みち》の曲り角のところに、二人の女が立って、こちらを眺めていた。一人は――黒服の若い婦人で、ほっそりとした不揃《ふぞろ》いな顔立をし、灰色がかった金髪をもち、背が高く、優美で、取り澄さない自然の首つきをしていたが――親切そうな揶揄《やゆ》的な眼で彼を見守っていた。も一人の方は――十五歳ばかりの娘で、同じく喪服ずくめであったが――放笑《ふきだ》したくてたまらながってるような子供らしい顔付をしていた。ふり返りもしないでただ黙ってるようにと合図をしてる母親の少し後ろの方で、両手のうちに口を隠して、笑いを押えるのに一生懸命骨折ってるがようだった。色白な桃色の丸い顔をした小娘だった。心持ち太い小さな鼻、心持太い小さな口、ふっくらした小さな頤《あご》、細やかな眉毛《まゆげ》、清らかな眼、豊かな金髪。その髪は網代《あじろ》に編まれて、頭のまわりにくるりと巻きつけられ、丸い首筋と艶《つや》のいい白い額とを現わしていた。――クラナハの絵にあ
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