々《にがにが》しくおのれを卑下しおのれを苛責《かしゃく》して、喜びとする。しかし確信は存続し、何物からも動かされない。いかなることをなし、いかなることを考えようとも、そのいずれの思想も行為も作品も、完全におのれを含有しおのれを表現してはいない。彼はそれを知っている。彼は不思議な感情をいだいている。自分の最も多くは、現在あるがままの自分ではなくて、明日あるだろう[#「明日あるだろう」に傍点]ところの自分であると。……きっとなってみせる[#「きっとなってみせる」に傍点]!……彼はそういう信念に燃えたち、そういう光明に酔っている。ああ、今日[#「今日」に傍点]によって中途に引止められさえしなければ! 今日[#「今日」に傍点]によって足下にたえず張られてる陰険な罠《わな》へ陥《おちい》って蹉跌《さてつ》することさえないならば!
かくて彼は、日々《にちにち》の波を分けておのれの小舟を進めながら、側目《わきめ》もふらず、じっと舵《かじ》を握りしめ、目的の方へ眼を見据えている。饒舌《じょうぜつ》な楽員らの中に交って管弦楽団の席にいる時にも、家の者にとり巻かれて食卓についている時にも、高貴な愚人たちの慰みのために楽曲のいかんに構わず演奏しながら宮邸にいる時にも、彼が生きているのは、このおぼつかなき未来の中にである、一原子のために永久に崩壊されるやもしれない――それは構うところでない――この未来の中に、そこにこそ彼は生きているのである。
彼は屋根裏の室で、ただ一人、自分の古いピアノに向かっている。夜になろうとしている。消えかかった昼の光が、楽譜帳の上に流れている。光の最後の一滴があるまでは、彼は眼を痛めながら読んでいる。消え去った偉大な心の愛が、黙々たるそれらのページから発散して、やさしく彼のうちに沁《し》み通ってくる。彼の眼には涙があふれる。なつかしいだれかが後ろに立っていて、その息で頬《ほお》をなでられ、今にも両腕で首を抱かれる、かと思われる。彼は身を震わしてふり返る。自分一人きりでないことを、感じまた知っている。愛し愛されてる一つの魂が、すぐそばにそこにいる。それをとらええないで、彼は嘆息する。それでも、その憂苦の影は、彼の恍惚《こうこつ》たる情に交じって、ある秘めやかな快さをなおもっている。悲しみさえも今は晴れやかである。愛する楽匠らのことを、消え去った天才らのことを、
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