。」
彼はその説明の馬鹿らしさにみずから顔を赤らめた。役人は皮肉と憐憫《れんびん》との交った様子で彼を眺めていた。クリストフは書面を手の中にもみくちゃにして、出て行こうとするふうをした。役人は立上がって、その腕をとらえた。
「ちょっとお待ち、」と彼は言った、「私が取計《とりはから》ってやるから。」
彼は長官の室へ通った。クリストフは他の役人らにじろじろ見られながら待っていた。どうしたらよいか、自分でもわからなかった。返辞を伝えられないうちに逃げ出そうかと考えた。そしていよいよそう心をきめかけたが、その時扉が開いた。
「閣下が御面会くださるよ。」とその世話好きな役人は彼に言った。
クリストフははいって行かなければならなかった。
ハンメル・ランクバック男爵閣下は、頬髯《ほおひげ》と口髭《くちひげ》とをはやし、頤鬚《あごひげ》を剃《そ》ってる、さっぱりとした小さな老人であった。クリストフがもじもじして礼をするのにうなずきの礼も返さず、書きつづけてる手をも休めないで、金縁の眼鏡越しに眺めた。
「では、」とちょっと間をおいて彼は言った、「君は願うんだね、クラフト君……。」
「閣下、」とクリストフはあわてて言った、「どうかご免ください。私はよく考えてみました。もう何にもお願いしません。」
老人はそのにわかの撤回について説明を求めようとはしなかった。彼はクリストフをさらに注意深く眺め、咳《せき》払いをし、そして言った。
「クラフト君、君が手にもってる手紙を、わしに渡してごらん。」
クリストフは、知らず知らず拳《こぶし》の中に握りつづけていた書面を、監理官がじっと見つめてるのに、気がついた。
「もうよろしいんです、閣下。」と彼はつぶやいた。「もうそれには及びません。」
「さあ渡してごらん。」と老人はその言葉を聞かなかったかのように平然と言った。
クリストフはなんの気もなく皺《しわ》くちゃの手紙を渡した。しかしこんがらかった言葉をやたらに言いたてながら、手紙を返してもらおうとしてなお手を差出していた。閣下は丁寧に紙を広げ、それを読み、クリストフを眺め、やたらに弁解するままにさしておいたが、それから彼の言葉をさえぎり、意地悪そうな色をちらと眼に浮べて言った。
「よろしい、クラフト君。願いは聴《き》き届けてやる。」
彼は片手で隙《いとま》を命じて、また書き物にとりかかった
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