次の曲たるラルゲットのために書かれたものであった。そこでクリストフは、熱烈素純な少女の魂を描いた。それはミンナの肖《すがた》であったし、また肖であるべきだった。だれも彼女の面影をそこに認めなかったかもしれないし、彼女自身も認めなかったかもしれないが、しかしたいせつなことは、彼がそれを完全に認めてることだった。恋人の一身をすっかりわが物にしたということを空想|裡《り》に感じて、彼は喜びの戦慄《せんりつ》を覚えた。どんな仕事も、これほどたやすくまた嬉《うれ》しいものはなかった。恋人の不在のために心にたまってる愛情を、一挙に放散させることであった。そしてまた同時に、芸術的製作への専心と、情熱を美しい明らかな形式のうちに統御し集注するための必要な努力とは、精神の健康と全能力の平衡とを彼に与えて、肉体的快感をも彼のうちによび起こした。あらゆる芸術家が知っている最上の享楽である。創作してる間、芸術家は欲望と苦悩との軛《くびき》を脱して、かえってその主人となる。彼を喜ばせるすべてのもの、彼を苦しませるすべてのもの、それらも皆自分の意志のままになるがように思われる。しかしそれも束《つか》の間である。なぜならその後では、現実の繋鎖《けいさ》がいっそう重く感じられてくるから。
 クリストフは製作に従事してる間、ミンナがいないことをほとんど思う暇《ひま》もなかった。彼は彼女といっしょに生きていた。ミンナはもはやミンナの中にはなく、すっかり彼のうちにあった。しかし仕事を終えてしまうと、彼はまた孤独を感じ、前よりもいっそうの孤独を感じ、いっそうがっかりしていた。ミンナに手紙を書いたのは二週間前であること、彼女からは返事も来なかったこと、などが思い出された。
 彼はふたたび手紙を書いた。そしてこんどは最初の手紙に強《し》いて守ったような遠慮を、どうしてもすっかり守ることができなかった。彼を忘れてしまったことを、冗談の調子で――なぜなら自分でもそれを信じていなかったから――ミンナに責めた。彼女の無精をからかって、やさしい揶揄《やゆ》をしてみた。非常にもったいぶって自分の仕事のことをほのめかした。彼女の好奇心を刺激したかったし、また、もどって来たらふいに喜ばしてやりたかったのである。買い求めた帽子のことを細かに述べた。その小さな専制者の命令に服従するために――彼は彼女の言うことをそっくり文字どおり
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