。それでもやはりちょっとした敵意や不平顔をつづけた。しかしもう彼らの間には、なれなれしい様子はなくなっていた。たがいに黙っていた。各自沈黙のうちに、おのれの恋愛を建設するのに忙しかった。
 愛には不思議な溯及《そきゅう》的な作用がある。クリストフはミンナを愛してると知った瞬間に、同じくまた、前から常にミンナを愛しているのだと知った。三か月以前から、彼らはほとんど毎日のように顔を合わせていたが、彼はその愛を夢にも気づかなかった。しかし今や彼女を愛しているので、過去未来永久に彼女を愛してるのだと、どうしてもならざるをえなかった。
 だれを[#「だれを」に傍点]愛してるかをついに発見したのは、彼にとっては安心だった。彼は実に久しい以前から、だれをとも知らずに愛していたのである。彼の安堵《あんど》はあたかも、全身的な漠然《ばくぜん》とした不安な病気に悩んでる病人が、その病気がしだいにはっきりしてきて、一局部に限られた鋭い苦痛となるのを見るようなものだった。一定の対象のない恋愛くらい破壊的なものはない。それはあらゆる力を腐蝕《ふしょく》し溶解する。しかしはっきりわかってる情熱は、精神を極度に緊張させる。それは人を疲らせるものではある。けれど少なくとも人はその理由を知っている。何物でも空虚よりはまだましである。
 クリストフは、ミンナが自分にたいして無関心ではないと信ずべきりっぱな理由を与えられてはいたけれども、やはり気をもまないではおられなくて、彼女から軽蔑されてるように考えていた。彼らはたがいに相手についての明確な観念を得たことがなかった。しかしこの時ほど、その観念が不確かなことはなかった。それは奇怪な想像のごたごたした連続であって、どうしても全体としてのまとまりがつかなかった。極端から極端へ移り変わって、実際にない欠点や美点をたがいに与え合っていた。離れてると美点を想像し合い、いっしょになってると欠点を想像し合った。いずれの場合においても、彼らはまさしく同じように思い違いをしていた。
 みずから何を欲求してるのか彼らは知らなかった。クリストフの方では、その恋愛は、専横な絶対的な愛情の渇望となって現われていた。彼はその渇望に、幼年時代からすでにさいなまれていて、他人にもそれを求め、否応《いやおう》なしにそれを他人へも押しつけようとしていた。時とすると、自己および他人の――お
前へ 次へ
全111ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング