いだいていた。ジャン・ミシェルの方でも、妻に深く感心していた。二人は琴瑟相和《きんしつあいわ》して十五年間を過し、四人の子供をもうけた。それからクララが死んだ。ジャン・ミシェルはその死をいたく嘆き悲しんだが、五か月たってからオティーリエ・シュッツと結婚した。顔が真赤で、頑丈《がんじょう》で、いつも上|機嫌《きげん》な、二十歳の娘だった。彼女はクララと同じくらいに美点をそなえていたし、ジャン・ミシェルもクララにたいしたのと同じくらいに愛してやった。ところが結婚後八年にして、彼女もまた死んだ。がそれだけの間に、七人の子供を生んでいた。合せて十一人の子供であるが、そのうち生き残ったのはただ一人きりだった。ジャン・ミシェルは非常に子|煩悩《ぼんのう》ではあったが、その幾度もの不幸も、彼の堅固な楽天的気質を変えはしなかった。最もひどい打撃は、オティーリエの死であった。それは今から三年前のことで、彼はもう、生活を立て直し新らしい家庭を作るには困難な年齢に達していた。しかし一時途方にくれた後に、彼はまた精神の平衡を回復した。いかなる不幸も、このジャン・ミシェル老人から、精神の平衡を失わしめることはできなかった。
 彼は愛情深い男であった。しかし彼のうちでは、何物よりも健康が最も力を振っていた。悲哀にたいする生理的な嫌悪《けんお》の情、フラマン人風の粗野な快活にたいする嗜好《しこう》、子供らしい大笑い、などを彼はそなえていた。どんな悲痛なことがあろうとも、杯の数を一つ減らしたこともなく、御馳走《ごちそう》を一口ひかえたこともなかった。かつて音楽を休んだことがなかった。宮廷の管弦楽は彼の指揮のもとに、ライン地方でかなりの名声を得た。そしてジャン・ミシェルは、その格闘者めいた体格と激しい疳癪《かんしゃく》とで、広く人の噂《うわさ》になっていた。彼はいかに努めても、おのれを制することができなかった。彼は元来小心で、危い破目に陥ることを恐れていたし、また礼儀を好み評判を気にしていたので、非常に努力をした。しかしいつも血気の情に負かされた。眼の前が真赤になった。突然狂猛な苛立《いらだ》ちにとらえられた。管弦楽の下稽古《したげいこ》の時ばかりではなく、公《おおやけ》の演奏の最中にもそうだった。大公の面前で、怒りたって指揮棒を投げすて、激しい急《せ》き込んだ声で楽員のだれかを詰問しながら、気でも狂ったように足を踏み鳴らした。大公はそれを面白がっていた。しかし矢面に立った楽員らは、彼にたいして恨みを含んだ。ジャン・ミシェルは自分の狂気|沙汰《ざた》を恥じ、すぐその後で、おおげさなお世辞をつかって忘れてもらおうとつとめたが、徒労であった。ふたたび何かの機会がありさえすれば、ますますひどく疳癪《かんしゃく》を破裂さした。その極端な癇癖《かんぺき》は、年とともにつのってきて、ついに彼の地位を困難ならしめた。彼はみずからそれに気付いた。そしてある日、例のとおりひどく怒りたったために、全楽員の罷業《ひぎょう》が起ころうとした時、彼は辞職を申出た。けれども多年の功労の後なので、辞職聴許はむずかしかろうし、居据《いすわ》りを懇願せられることだろうと、ひそかに期待していた。ところがそうではなかった。そして申出を取消すには自尊心が許さなかったので、彼は人々の亡恩をののしりながら、悲痛な思いで職を去った。
 それ以来彼は、毎日何をして暮していいか分らなかった。もう七十歳を越していたが、まだいたって元気だった。それで、出稽古をしたり、議論をしたり、無駄《むだ》口をたたいたり、あらゆることに立交じって、相変わらず働きつづけ、朝から晩まで町中を駆け回った。彼はいたって器用で、さまざまの仕事を捜し出していた。楽器の修繕もやり出した。種々くふうをしたり、試みにやってみたり、時には改良の方法をも発見した。また作曲もし、そのために勉強もした。かつて壮厳ミサ曲[#「壮厳ミサ曲」に傍点]というのを書いたことがあった。彼はそれをしばしば口にのぼせ、それは一家の名誉となっていた。書いてるうちに脳溢血《のういっけつ》を起こしかけたほど苦心を重ねたものだった。それを彼は天才的な作品だと無理に思い込もうとしていた。しかしいかに空虚な思想で書かれたものであるかは、みずからよく知っていた。そしてもはやその原稿を読み返すこともしかねた。なぜなら、自分の独創になったものだと信じてる楽句の中に、他の作曲家らの手になった断片が、むりやりにどうかこうか綴《つづ》り合わせられてるのを、読み直すたびごとに見出したからである。それは彼にとって非常な悲しみの種だった。時とすると、実に素敵なものだと思えるような思想が彼にも浮かんできた。すると身を震わしながらテーブルに駆け寄った。こんどこそはついに霊感《インスピレーション》をとら
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