く聞えていた。自然界の何か異様な物|凄《すご》いものが今にも現われて来はしないかと、クリストフはたえずびくびくしていた。彼は駆け出した。胸がひどく動悸《どうき》していた。
 祖父の室の中に燈火がついてるのを見ると、彼はほっと安心した。しかしいちばん悪いのは、老クラフトがしばしば不在であることだった。そういう時にはなおいっそう恐《こわ》くなった。野の中に孤立してるその古い家は、真昼間でさえ子供をおびえさした。年老いた祖父がそこにいると、彼は恐ろしさを忘れてしまうのだったが、しかし時とすると、老人は彼を一人置きざりにして、何も言わずに出かけてしまうことがあった。クリストフはそれに気をつけていなかった。室の中は安らかだった。すべて見慣れたやさしい物ばかりだった。白木の大きな寝台があった。寝台の枕頭《ちんとう》には、棚《たな》の上に大きな聖書があり、暖炉の上に造花があって、それといっしょに二人の妻と十一人の子供との写真が置いてあった――老人はその下の方にそれぞれ、出生と死亡との日付を書いておいた。――壁には、枠《わく》のはまった聖書の文句や、モーツァルトとベートーヴェンとの粗末な着色石版画が掛かっていた。片隅には小さなピアノがあり、他の隅にはチェロがある。書物がごたごた並べてある書棚、釘に掛かってるパイプ、そして窓の上には、ゼラニウムの鉢《はち》が置かれていた。そこにいると、友だちらに取囲まれてるような気がした。隣りの室には、老人の足音が往《い》ったり来たりしていた。鉋《かんな》で削ったり釘を打ったりする音が聞えていた。老人は独《ひと》り言をいったり、馬鹿野郎と自分をけなしてみたり、あるいは賛美歌の断片や感傷的な歌曲《リード》や戦《いくさ》の行進曲や酒の唄《うた》などをごっちゃにないまぜて、太い声で歌っていた。隠れ場所にいるような気持が感ぜられた。クリストフは窓のそばに大きな肱掛椅子《ひじかけいす》にすわって、膝の上に書物をひらいていた。插絵《さしえ》の上に身をかがめて、うっとりと見とれていた。日は傾いていった。眼がぼんやりしてきた。彼はしまいに插絵を見るのをやめて、茫然《ぼうぜん》と考え込んでしまった。荷馬車の音が遠く街道の上に響いていた。野には牝牛《めうし》が鳴いていた。眠りかけてるようなものうい町の鐘が、夕の御告《みつげ》の祷《いの》りの時刻を知らしていた。おぼろな願
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