こで伯爵夫人の告別式が挙行されたのである。なんら後悔の情は起こさなかったが、「おまえがこの老夫人の下手人《げしゅにん》だぞ」という良心の声を、彼はどうしても抑《おさ》えつけることが出来なかった。
 彼は宗教に対して信仰などをいだいていなかったのであるが、今や非常に迷信的になってきて、死んだ伯爵夫人が自分の生涯に不吉な影響をこうむらせるかもしれないと信じられたので、彼女のおゆるしを願うためにその葬式に列席しようと決心したのであった。
 教会には人がいっぱいであった。ヘルマンはようように人垣を分けて行った。柩《ひつぎ》はビロードの天蓋の下の立派な葬龕《ずし》に安置してあった。そのなかに故伯爵夫人はレースの帽子に純白の繻子《しゅす》の服を着せられ、胸に合掌《がっしょう》して眠っていた。葬龕の周囲には彼女の家族の人たちが立っていた。召使いらは肩に紋章入りのリボンを付けた黒の下衣《カフタン》を着て、手に蝋燭を持っていた。一族――息子たちや、孫たちやそれから曾孫《ひこ》たち――は、みな深い哀《かな》しみに沈んでいた。
 誰も泣いているものはなかった。涙というものは一つの愛情である。しかるに、伯爵夫
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