、死んだ者のようにヴォルテール時代の臂掛《ひじか》け椅子に腰を落とした。
 ヘルマンは隙間《すきま》から覗《のぞ》いていると、リザヴェッタ・イヴァノヴナが彼のすぐそばを通った。彼女が螺旋形の階段を急いで昇ってゆく跫音を聞いた刹那、彼の心臓は良心の苛責《かしゃく》といったようなもののためにちくり[#「ちくり」に傍点]と刺されるような気もしたが、そんな感動はすぐ消えて、彼の心臓はまたもとのように規則正しく動悸を打っていた。
 伯爵夫人は姿見の前で着物をぬぎ始めた。それから、薔薇《ばら》の花で飾った帽子を取って、髪粉を塗った仮髪《かつら》をきちんと刈ってある白髪《しらが》からはずすと、髪針《ヘヤピン》が彼女の周囲の床にばらばらと散った。銀糸で縫いをしてある黄いろい繻子《しゅす》の着物は、彼女の脾《しび》れている足もとへ落ちた。
 ヘルマンは彼女のお化粧の好ましからぬ秘密を残らず見とどけた。夫人はようように夜の帽子をかぶって、寝衣《ねまき》を着たが、こうした服装《みなり》のほうが年相応によく似合うので、彼女はそんなに忌《いや》らしくも、醜《みにく》くもなくなった。
 普通のすべての年寄りのよう
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