も打つ、酒も飲む、罵詈をして神を馬鹿にもする。そして、暁方に眼を醒ますと、却つてわしがまだ眠つてゐて、唯、僧侶になつた夢をみてゐるやうな心持がする。此夢遊病者のやうな生活の或場面とか或語とかの回想は、未だにわしの心に残つてゐて、わしはどうしてもそれを、わしの記憶から拭ひ去る事が出来ない。わしは、実際、わしの住居《すまひ》を離れた事のない人間なのだが、人はわしの話すのを聞くと、わしは浮世の歓楽に倦みはてゝ、信心深い、波瀾に富んだ生涯の結末を神に仕へて暮さうと云ふ沙門だと思ふかもしれない。此世紀の生活からさへ絶縁された、森の奥の、陰鬱な僧房に住みふるした学僧だとは思はぬかもしれない。
 わしは恋をした。わしの様に烈しく恋をした者は此世に一人もゐない程、恋をした――愚《おろか》な、凄《すさま》じい熱情を以て――わしは寧ろその熱情がわしの心臓をずたずたに裂かなかつたのを怪しむ位である。あゝ如何なる夜――如何なる夜であつたらう。
 わしは幼い時から、わしの天職の僧侶にあるのを感じてゐた。そこでわしの凡ての研究は、其理想を目標として積まれたのである。二十四歳までのわしの生活は云はゞ唯、長い今道心の生活であつた。神学を修めると共に、わしは引続いて凡ての下級の僧位を得た為めに、先達たちは、若いながらわしが、最後の、恐しい位階を得る資格がある事を認めてくれた。そしてわしの授位式は、復活祭の一週中に定められたのである。
 わしはそれ迄に世間を見た事がなかつた。わしの世界は大学と研究室との壁に限られてゐたのである。尤も「女」と云ふ者があると云ふ事は、漠然と知つてゐたが、わしはわしの思想が此様な題目の上に止る事を許さなかつたので、わしは全く純真無垢な生活をつゞけて来た。一年に二度、わしは、年をとつた体《からだ》の弱い母親に逢ふが、此二回の訪問の中に、わしの外界に対する、凡ての関係が含まれてゐたのである。
 わしは何も悔いる所はなかつた。わしは此最後の、避く可からざる一歩を投ずるのに、何等の躊躇もしなかつた。わしは唯、喜悦と短気とに満たされてゐたのである。婚礼をする恋人でも、わし以上の熱に浮かされた感激を以て、遅い時の歩みを数へはしなかつたであらう。わしは眠りさへすれば、必ず祈祷を唱へてゐる夢を見た。僧侶になるより愉快な事はない。かうわしは信じてゐた。元より国王になる気も、詩人になる気も無
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